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カテゴリー「追憶」の検索結果は以下のとおりです。

12日土曜日『Too Much曝露』

 日は…

 航空安全の日・茜雲忌

 君が代記念日

 太平洋横断記念日

 配布の日

 徳島市阿波踊りの初日

 アルプスの少女ハイジの日

 航空安全の日・茜雲忌 日航ジャンボ墜落事故の報を聞いたのは、父の単身赴任先の福井の部屋で、家族で夕食を食べている時だったかな。生存者4名。俺も結構ショックだった。怖かった。飛行機には乗るまい、と固く誓ったものだった。

 君が代記念日 まぁ、歌えと言われれば歌いますよ。日教組の人間じゃないので別にそんな主張はないし。国歌ですしね。

 太平洋横断記念日 ヨットで太平洋横断 登山もそうだけど、成功すればいいけれど、遭難したら沢山の人、例えば捜索隊の迷惑になるじゃないですか。そこんとこ、よく考えないんですかねぇ。

 配布の日 チラシポスティングね。やりました。ほとんど風俗関係ですが。比較的楽だったけれどあんまり面白くなかった。

 徳島市阿波踊り お囃子のシャッフル感が割と好きだったりします。

 アルプスの少女ハイジの日 家庭教師のトライだっけ?悪ふざけにもほどがあるけど好きです。

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 只今2時26分、今日はどっかに出かけるんだろうか。

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 今日は『ライフガーデン神栖』の『seria』と『カスミ』、『道の駅いたこ』に行って、小見川(香取市)から銚子を回って帰ってきた。『ライフガーデン神栖』について調べたが、『ダイワロイヤル』という会社が作ったらしい。しかし『ライフガーデン神栖』で検索してもその施設自体の紹介がなされているウェブサイトはなくなんなんだか得体の知れない施設。右写真は改装工事が進捗する銚子駅の様子。

 明日は墓参りに行く予定。

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 最近強迫性障害(不潔恐怖など)の事や過敏性腸症候群のことを書いていない。まず、強迫性障害から取り掛かった。取り掛かったのは、2012年12月16日のこと(『投票日』参照)あれから5年近く掛けて『曝露療法』にトライしている。初めての曝露療法の日、排便後、『薬用石鹸ミューズ』でシモを洗わないと『うんこはさんでる感』に耐えるのに非常に苦労したと言うかとんでもない苦痛だった。その効果を高めるために、逆に、不潔恐怖なら、不潔過剰に追い込んでやろうという、俺が勝手に作って命名した『Too Much曝露』。うんこして、 紙で拭いて、そのまま風呂にも入らずに寝て、一日耐えるという、逆療法的な方法を試した。その結果(昨今の『公衆トイレ事情の改善』という要素も多分にあるが)出先で排便することが恐怖でなくなり、『便意の発生を抑制するために出先では食事をしない』という縛りも解けて『普通に出掛け、普通に食事をし、普通に帰宅する』という当たり前のことが、昨年、15年ぶりにできるようになり、それができるようになってから、過敏性腸症候群も鳴りを潜めるようになって、お守りにイリボーロペミンを携帯してはいるものの、症状は今、消滅している。これでだいぶ精神的には楽になった。この調子でいけば、寛解も夢ではなくなった。まぁでも、強迫でほんとに困っていて、治したいと思ったのでできたことだと思う。もし本当に困っていて、治したいと思えばこの『Too Much曝露』をやってみることはあながち無意味ではないかも知れないよ。何かの理由で治すのが嫌だったり、怖かったりするのなら、多分効かないが。

8日土曜日

銚子への道 昨日は中学3年の時付き合ってた人にフラれた日。まぁ当時は「人が好き」というより「恋に恋していた」ような感じだったから、全然タイプじゃない人と付き合ってたんだけど。好きな人とお別れしないとならない悲しみというよりは、人格を全否定されたように思って、精神的に変になった。なんか、同級生のKくんとSさんがキスしたキスしないという話(まぁ今からすれば可愛いことだけどね)を聞いて当時の彼女が、俺が手を出さないので切れた(俺は俺で手を出す気もなかったんだが(→好きじゃないので))、で、フッたんでしょ。今となっては屁でもない出来事だったんだけどね。ま、数々恋愛を経験して、「結局損するのは男なんだよな」ということ。40~50代になって家族の中で孤立し、定年と共に離婚されて、孤独死…というシナリオが見える。だったら、独り、気ままに、フーラフーラして死ねればいいんでねぇの?

 

 なんか、ん~、東京に出て、独りで部屋で、ただ独りで、音楽聴いて、先行きを案じながら…どうせ独りなんなら、ずっと独りでいいや、…なんて…「大学受験?じゅけん?なんすか?それ」薄暗い部屋で、腕枕で痺れた腕、「アヂヂ」…小さな寝息を聞きながら腕をさすって、シャワー浴びて、目の前に寝ている人を眺めつつ、「あー、この人とは結婚できねぇだろうなぁ」なんて思いながら、表向き受験を口実に別れて。「あー、受験しねぇといかんかなぁ」四浪目の俺。やっと受験勉強始めたのが11月。10月、11月というのは、何かしら動く。それが秋。んー。俺付き合っちゃうと、飼い殺し状態になっちゃうんだよね。自ら進んで。禁欲的になって、自分を縛り付けるのが常でね。「あ、この多肉植物、おっきくなったなぁ」とか言いながら部屋に閉じこもって。いろいろ縛り付けちゃうんだろうねぇ、自分を。子供の俺が父親になれるはずもなく。その他もろもろ、考えたらめんどくさくなって、多分一生独りだろうなぁ。まぁ、…自由電子になって生きていくんだろうな死ぬときゃその時だ。いいや、そういう人生しか俺を待ってる筈ないんだから。

 いつもアールグレイの人がダージリンなんか飲んじゃって、「んー。なるほど。」なにがなるほどなのかよくわからんが。アールグレイアールグレイと呪文を唱えてスーパーのコーヒー紅茶コーナーに行き、「ロンドン・ストランド・アールグレイ」を見つけ即購入。…これが大失敗。ラプサン・ス-チョンを飲んだ時以来の変な味。廃棄決定。2パック開けてあと残り。どなたかいらっしゃいませんかね、「London Strand Earl Grey」好きなお方。残りの8パックお譲り致しますが。ラプサン・スーチョンは正露丸汁だったね、あんなの飲む人、いるんだろうねぇ需要があるってことは。俺ゃあダメだ。

 終わる。(22時36分)

18日日曜日

 只今3時19分。

 昔のことを思い出した。2000年から2003年にかけてのことを。俺の住んでいた板橋のアパートが駆け込み寺となっていた頃のこと。ハンドルネーム「Y」という女の子が度々俺の部屋を訪れた。「このおっさんは大丈夫」と思ったんだろうか。まぁ、下手に匿うと「未成年者隠匿」とか「青少年保護育成条例」でアウトになるから怖かったんだが。ひとしきり喋って、帰るのだった。いつだったか、俺が風呂に入っている間に部屋に上がり込んでこたつに入って寝ていた。あー怖い怖い。この娘がもし俺が乱暴したなんていったら刑罰に加えて社会的制裁を受けたんだろうな。もう一人ハンドルネーム「E」という女性。妙齢の女性がオトコの部屋を一人で訪れ、夜は泊まっていくという、目的はそれだ。だが、俺の息子は当時までには全く役に立たなくなっていた。すぐ萎れてしまうのである。数回訪れたがその度に萎れた。女性はすっかり自信を失ってしまい「私だからかなぁ」と呟いた。以降連絡がつかなくなり、以来会ってもいないし電話で話すこともなく現在に至る。悪い事したなぁと思っている。ま、でも正直、タイプではなかった。「女なら誰でもいい」わけではなかった。次、御茶ノ水の寿司屋にて、OFF会か何かで一緒になったハンドルネーム「R」という人妻。俺の中では「女性との飲食に際しては、俺が全額払う」ことになっていたので、そのとおりにしたんだが、女性に勘違いされた。お返しに、と、舞浜の駅に来て、と。そこで愕然とする。女性が人妻だということが、この時点で発覚する。うーん。俺はそこまで「ゲス極」ではないと思っているので腰が引けた。「もう会うのはよそう」と思い、電話をかけると付き合ってくれと懇願された。俺より若くてすげぇかっこいい男がそこら中にウヨウヨいるのに、何故俺なのか不明。以降俺が放ったウルトラC(詳細は省く)で疎遠になり、以降なんの接触もなく、無事生きている。安物の寿司の勘定だけでここまで勘違いされるのかと思い、女性の取り扱いは非常に難しいなと思った次第。もうめんどくさいのは、やだ。というか、もうデブ著しいので、デブ専でもない限りそういうこともなかろう。めんどくさくなった時には「致命的身体特徴」が役に立つこともある。俺は男を随分前に捨てたもんでねぇ。やなのよ、めんどくせぇのは。以上、記憶を辿る旅でした。

4日月曜日 カフェにて

foleclo 過敏性腸症候群も曝露療法や認知行動療法を試しながら薄皮をはぐように、徐々に徐々に極めて緩徐にではあるが10年前より少しはマシだと思わなくもな い状況に入りつつあるので、外食も調子のいい時はチャレンジしたりしている。今日は母と、今日休みだった妹と鹿嶋の緑ヶ丘にあるイタリアンカフェ、foleclo(フォリクロ)さんでランチ。いつも通るたび混んでいるのでなんのお店かなと思っていたがカフェだった。俺はカルボナーラのランチ。サラダ、デザートプレート、ドリンクセット。サラダが旨い。なんのドレッシングだろう。カルボナーラは期待に違わぬボリュームと味。紅茶はアイスティーだったが結構渋みを感じた。あぁ、こういうものなんかな、俺が淹れた紅茶も悪くない。アイスコーヒーも飲んでみたが、そういうものなんだな、俺の淹れたのも、そんなに悪くない。デザートプレートは色々ケーキとか載っていたが、胡麻豆腐が思いの外美味しかった。こういうお店で味のスタンダードを知っていたほうが良いね。おいしく頂きました。外食っつったらマックとかスタバとかだった。最近だとコメダ珈琲店や珈琲館。まぁそれはそれで美味しいのだがこういうところでイタリアンもいいものだ。

 本来、俺はあまり外食が得意でなく、あまりいい思い出もないので、外食はしばらく疎遠だったのだが、最近ではダメージが癒えたのか、大丈夫になってきている。あの人とまだ一緒にいたら治ってなかったかもしれない。寛容な人ではなかったから…。すぐ怒ったしちょっときつい。この期間は俺がいろいろなダメージから立ち直って普通になるための時間だったのだろう。あの人には感謝しないがこの16年ちょっとの時間に癒やされたんだと思うと時間ってすごいなぁと思う。まぁこれからも俺は一人で生きていくんだろうと思うが、マイペースで生きていければ、また、おひとりさまになってもおいしい食事と雰囲気を楽しめたらいいと思う。俺は一人で生きていくことを決意した。そんな日だった。(翌1時23分)

15日水曜日 幸せと引き換えに

偽りの俺 高校一年の春から俺は急激なダイエットをした。171cm、80kgあったのを、2か月半で45kgまで落とした。サウナスーツの上にトレーナーだのやっけだのを着込んで2時間毎日走る、食事はキャベツの千切りとリポビタンD、それに伊藤園のウーロン茶ショート缶キンキンに冷やして飲み放題。だけど食べることが何より大好きな俺にとってとても大きなストレスとなり、徐々に精神を病んでいった。精神を病んだそもそものきっかけは、中学3年の時当時付き合っていた彼女にフラれたことがきっかけだった。あとになって、「やっぱり好き」と電話が来たんだが、どうせ本命にフラれたから元鞘を狙ってんだろうと思い無言のまま電話を切った。受験期だった俺は、なんだか心の歯車が徐々にずれていった。よくもまぁこの精神状態で第一志望に受かったといえるほど精神は荒廃していた。高校に入っても遅刻早退中抜けといった感じで俺はもうすぐおかしくなるんだろうなぁ…と…。高校2年の時バンドに誘われそれに没頭する。ちょっと銚子では有名になった。そして、こんな俺にもバレンタインデーのチョコが届いたり、彼女が出来たりもした。でもこれは、太っていたらありえなかったことだろう。彼女と別れ、いよいよ俺の精神の荒廃は増していった。過激なダイエット、食べ物が食べられないストレス。目は落ちくぼみ頬はこけ気は荒み怒鳴ったり暴れたりを繰り返していた。ジーンズのウエストは27インチ(1インチは2.54cm)ぴんと来ないだろうが今のジーンズは42インチである。太っているコンプレックスの解消と、精神の安定を引き替えにしたのである。そして今、精神の安定を得るために、俺は本来の俺(太っている俺)に戻った。果たして精神の安定は得られたか?答えはネガティブである。長いこと続いた精神的荒廃は、思いのほか脳にダメージを与えたようだ。精神は荒廃したまま固定してしまった。もう、回復は無理だろう。唯一出来るとすれば、かなりの労力を要するが「新しい人格の獲得」ということだろう。残念ながら現在の人格が許されるのはミュージシャンやアーティストくらいのものだろうから。普通の社会生活は無理だ。写真は体重が54kg位の頃のもの。

19日金曜日 ダメな日

 今日は朝からなんか膀胱炎みたくなったので冷えないようにして寝ていた。今のところ症状は消えているみたいだ。けれど油断していたらまたなるかもしれないので注意しよう。

 精神状態は非常に悪い。どうしようもないくらい悪い。レボトミン®300mgを服用。いいのか悪いのかわからない。本当はベンゾジアゼピン系の抗不安薬の方が良いのかもしれないが。ロヒを抗不安薬のようにして使っているけど6錠も飲むと寝てしまうし、今度、診察の時に言おう。(ベンゾジアゼピン系の)抗不安薬何か出してくださいと。中~長時間型で強いものセパゾン®、ソラナックス®・コンスタン®、ワイパックス®、エリスパン®、メレックス®、メイラックス®、レスタス®あたりか。それにしても、なんで俺、こんな風になっちゃったんだろう。全ての源は1984年(中学3年)の10月7日に始まった。次のきっかけは1986年(高校2年)の8月某日に行われた花火大会のライブの日。次は1999年の12月23日。

 あー。辛いー。もうその出来事自体の値は消失してしまったが、その時の感情だけ沈着してしまっている。だめだー俺。死んでしまいたい。こんな人生もう終わりにしてしまいたい。

17日水曜日

 少子高齢化が問題なんつっても、俺みたいな精神障害者は、いや、精神障害者たる俺は貢献できないわけ。彼女も去って行ってしまうしね。だってキチガイと結婚したい人なんていますか?いないでしょう?奇声を発したり暴れたりしている人は勿論、人格異常(人格障害)と呼ばれている俺のような人間は、相手にされませんって。欠陥品を、精神の欠陥品を選ぶ異性なんていねーし。俺はそういうことを延々と考えながら孤独死し、腐って蛆湧いて見つかるんだ。俺を見切ったあの人は今幸せに暮らしてる。俺はこのザマ。ネガティブなこと書いている奴だってよくよく読んでみるとリア充だったりしてなぁ?結婚してんじゃねーかよ、子供いるんじゃねーかよって人が結構いて、それで不幸せって人も結構いるけどふざけろよ!って話だ。それなりの苦労は承知の上だったんだろ?嫌なら全て捨てて一人になればいい。それが嫌なら苦労しろって話だ。

 俺はもうほとんど自棄っぱちになってるよ。死んで腐るだけだからなぁ。それが目に見えてるだろうよ。くそっ!俺のこんな姿見て、嬉しいだろ?な?嬉しいよな?自分の選択が正解だったんだから!クリスマスの寒空に俺を追い出したんだからよ。その時の俺の気持ちわかるか?わかんねぇだろ追い出した側だからなぁ。あんたは清々しただろうよなぁ、役に立たないボンクラと離れられるんだから。ご両親もご兄弟もさぞ喜んだろうなぁ、あの人、いい人っぽいもんなぁ。俺は人格障害だ。「障害者と結婚するなんて絶対いやっ!」あなたはそう判断したんだ。あぁ、差別だと言いがかりをつけることもできるよ?できるけど、男女の仲って、そもそも差別じゃん。よりよい遺伝子を残そうと女は男を、男は女を差別する。いいんじゃねぇかぁ?差別で。ふんっ。世の中に平等を求めるだけ無益だ。不平等が、人間の本質なのだから。(翌0時21分)

5月1日金曜日 内科

風土村 悪い予感が当たったというか。GWの狭間ということで金曜日の午前中だけ来られる俺の主治医は休み。代診として、こともあろうに整形外科の医師が当たった。当然、専門外なので「変りはありませんか」「では同じお薬を」ということで診察終了。所要1分。運が悪いことは続くもんで、香取の風土村に行く途中である。急に腹が痛くなった。急遽引き返しコンビニでトイレに入る。混んではいなかったんだが、後が痞えると困ると思い、途中で出た。最終的に自宅ですることになるのだが、それまでの間、脂汗垂らして格闘した。アイスコーヒー飲んだのがダメだったのかも。あぁ、また嫌な体験をしてしまった。トイレが怖い。まぁ、帰ってきて間もなく、母の知人から電話があって、出掛けてきたからまぁ、電話取り損ねてしまわなかったことはいいとして、折角母が風土村に行こうと楽しみにしていたのに、中断させてしまい申し訳なかった。終わってしまったことなのだからもう取り返すことはできないけれど、どうしてもというなら明日の帰り(また神崎に行くらしい)でも寄れば良いしということで赦してもらうしかない。妹はGW中も交代勤務、2・3と休みらしいが後半は休みではないようで気の毒に。単純作業で誰でも替えの利く仕事なら俺行ってもいいんだけどそうは問屋が卸さんだろうから仕方がない。しかし…たかが俺のうんこ如きに振り回される(「本人」ではないという意味での)他人は大迷惑だ。ただ…ちびらなかったことのみだけでも好しとして赦してもらえるのであれば、たいへん幸いである。

 順序が話の展開上前後してしまうが、薬局で薬を受け取り(5,000円超!)はー。こないだのレボトミン®50mg錠が効いてるかどうか、また、ふらつきなどはないか確認された。はー(今日は喋りたくないんだ勘弁してよー)。次にガソリンスタンドに寄るが母がファンのサキちゃんはGWだからだろうか今日はお休みのようで不在だった。宝山のファミリーマート(ここがケチの付けはじめ)に寄りドーナツとアイスコーヒーを買い(ドーナツがウリのくせに、全然不案内の店員・ワンサイズしかないアイスカフェラテのサイズを訊く店員…なんなんだ全く!)、大野原のホーマックに寄ってカメ(冬眠を経てどっこい生きてる)の餌と水草を買い、犬・猫コーナーで柴犬の子供に癒してもらって、さて風土村に行こう、とした時に「ギュルギュルギー」ときた。今思い出しても憎たらしいあの痛み。母の希望に沿えなかった自分を責めている自分がいる。まぁ、「希望に沿う」ことについては今こうしてこんな姿で親に食わしてもらっているこの時点で既に「希望に沿えて」いないのだけれども、更に罪を重ねてしまっていることの心苦しさったらないね。この先あといくつ罪を重ねるのだろうか。情けない。俺は全く役に立たないばかりか、害悪である。

 お気づきかも知れないが、俺は母の評価の囚われの身だ。小さい頃から常に母の顔色窺って母の好むように振る舞い、それが出来なければ罵声を浴びせられたし、手も上げられた。それが反抗期になると立場が逆転して親をぶん殴るようになる。両親の顔をパンダにし、それで要求を通してきた。そこで親の呪縛から離脱できればよかったのだが…変なタイミングで…母が乳がんになる。右乳房全摘&リンパ節郭清。病室のベッドで体を縮めて食事をする母がとても小さく見えて、「あぁ、俺はこの人に手を上げたんだな」と思うととても気の毒に思えて、この時からである、俺が自ら進んで母の呪縛下に入ったのは。それでもまだ、当時は東京に離れて暮らしていたからまだよかった。やがて俺は元彼女にフラれ行き場を失ったが、それでも精一杯の抵抗で東京に部屋を借りて別居状態は継続した。だがこれでは家の経済が破綻しかねない状況に陥り、当時の精神科の主治医にも「この状態は現実的ではないから諦めなさい」といわれ泣く泣く東京を引き払い同居生活が始まったのが2003年。以来俺は「自立」を失い衣食住全てを親はともかく、妹にも依存するようになってしまったのだ。と同時に、「軟禁生活」の始まりでもあった。

 離脱するのは一見簡単だ。働いて、自立すればいいだけの話である。だが、ドクターストップも解除にならないし自分自身もこの丸腰(国家資格も何もなし)で働いて食っていく、あわよくば食わせていくことになったとしても非常に苦しい。若かったらまだいい。もう若いとはとても言えないのだ。どこかの会社に入って下っ端から上がっていけたとしても上がる頃にはもうジジイである。俺は大学の法学部まで行っておきながら、それが完全に無駄になる暮らししかできないんだとしたら、俺はもう、死んで逃げ、赦しを乞う以外にないのだ。

 そこまでの精神状態にまで追いつめておきながら「好きなことをして生きなさい」「自分に素直になりなさい」と今年で46歳になろうとしている今更言われてもだね、不可能だよ。それを、30年前に言って欲しかった。30年前に。俺はそんな両親と、進路指導の教師によって、生きる道を、絶たれたのだ。なまじ進学校に入ってしまったのがそもそもの始まりかも知れない。そんな進学校へと俺を誘ったのが、俺の心の平穏を壊したヤンキーの存在だ。奴らさえいなければ、俺はもう少し落ち着いて物事を考えられたかもしれないのに。俺の人生の節目節目に、ヤンキーやらチンピラやら不良やら、反社会的勢力が登場する。だから嫌いなんだ奴らの類は。碌なことしねぇ。俺が奴らの類を尋常でない程に嫌うのはそういうわけがある。

 俺はひょっとしたら「人」運に欠けているのかもしれない。節目節目で「碌でなし」に出会ってしまう。こういう「人」との巡り合わせが、俺を病ませたのは間違いないだろう。全く以て、「人」運がない。今のところは。このままで終わったら、それこそ「人」運がないままになってしまう。さて「超人間的存在」とやらは、俺をどのように導くのだろうか。(17時20分)

3.11火曜日

 3.11のあの14時46分、起きていようと思ったが、寝ちゃってたよ。ここ数日の出来事で疲れちゃって。またみっともなく生きて還ってきてしまった。「サヨウナラ ミナサン」なんて書いちゃったのに。みっともない。

 ODで死のうとしたのがそもそもの間違い。飛び降りとか、そういう確実な方法を選ぶべきだったと後悔している。

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 平成23年3月11日金曜日14時46分俺はトイレにいて被災した。いつまで経っても止まない揺れ…。被災なんつってもたかだか避難所に4日間寝泊まりしただけだったが。それでも俺の精神状態は限界でくたくたになって家に戻ってきた。水道は出ない、井戸水も飲用には適さない、親戚と電話がつながらない。寒い中での生活だった。都合、水道は一ヶ月ほど出なかったか。他は瓦が落ちたくらいで今のところ見える破損はない。津波の映像が繰り返し流れる中、恐怖が取れなくてそれは未だに続いている。復興は遅々として進まず、東北・関東の被災者の方々には未だに仮設住宅にお住まいの方が大勢いる。俺の心の痛みなんて大したものじゃぁない。んだろうが本人にとってみれば結構しんどいもんでそれがうつ病や強迫性障害の寛解を妨げているのもまた事実なんだろう。

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 そんな中での今回の騒動。いろんなかたにご迷惑をかけた。ただ、俺はああするしか表現の方法を思いつかなかった。俺には、他人の命を奪う権利なんてない。だったら矛先を自分に向けるしかぁないじゃないか。誰か死なないと何も届かないんだよ。負け組と言いながら結構いい生活を自慢している人々、「そもそも勝ち組負け組って何?」とほざく勝ち組の人々。俺を嘲笑しつつ手を差し伸べるふりをする勝ち組の人々。きっと大事なところで俺を突き落とすのだろう。俺は病気になってからできた友達を、「本当の友達」と呼びたい。俺はすっかり、(特定の)人間不信に陥っている。原因はあるが敢えてここでは挙げない。俺がその人たちを信用しなくなったとしてその人たちは痛くも痒くもないだろうがもしその原因を知りたいという奇特な人がいたら、言動を、よく思い返してほしい。ヒントを挙げれば最初におおもとの原因を作ったのは俺だろうということだ。まぁ自業自得と言えなくもないが。そう思えばその輪の中から俺が一人消えたところで何の問題もない。裏切り者なんだから俺は。それとも、まだ仕返しが足りないかい?

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 あれ以来、めまいとか、立ちくらみ、吐き気が酷い。クスリの影響ががまだ残っているのだろうか。今回のこの出来事が全て俺の被害妄想で成り立っているとしたら、俺のうつ病はまた悪くなっている。俺には人間関係の構築に問題があると三人目の主治医に言われたことがある。パーソナリティ障害(人格障害)だと。それから主治医が変わるたびコロコロ診断が変わり、現在はうつ病と強迫性障害になっているようだ。どれが本当のところなのか俺には判らない。俺はただ、現在の主治医に心を預けて治療してもらうしかないのだ。今の俺にさして診断名は重要じゃない。とにかくこの不快な状態をどうにかして欲しいそれだけだ。この不愉快さと、この不安・焦燥感を。死ぬことさえ許されぬのなら、せめて快適に生きたい。それとも、裏切り者の罪滅ぼしとして不快な人生を送れとでもいうのか?もういい、今日はもう疲れた。

 7時55分、サインバルタ®20mgカプセル3カプセル、ルボックス®50mg錠2錠、エビリファイ®3mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠、ローコール®20mg錠1錠、イリボー®5?g錠1錠を服用。12時45分、ルボックス®50mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠を服用。21時30分、ルボックス®50mg錠2錠、リーマス®200mg錠1錠、レボトミン®5mg錠5錠、頓服のレボトミン®25mg錠4錠、ロヒプノール®1mg錠2錠を服用。

 トイレは2回、軟便。パーフェクトうんこが出ない。(翌3時9分)

12日日曜日 千波湖

白鳥 昨日の分の日記は、眠たかったからか頭がぼけていて、一昨日と同じような内容の日記を書いてしまった。

 まだ気持ちは沈んでいる。全てをネガティブに受け取ってどうしようもない状態に陥っている。

 吐き気がする。昨夜、濃く作ったインスタントコーヒーを飲んだから胃に来たのかも知れないし、精神的なストレスもきっと関係していると思う。

 俺は孤独に弱い。孤独を感じるとすぐに泣きたい気分になる。『「孤独」が一流の男をつくる』という本があるが、俺には無理。だってどうせ俺は七流とか八流の男だからだ。幾ら頑張っても、五流より上には行けないし明らかに超絶Z級の人間であることからは逃れられないだろう。

 今日は水戸へ行ってくる。

                            *

 9時自宅発、11時10分千波湖着。しばし湖畔を散策。俺は股関節が痛いので途中でリタイア、ベンチに座って湖を眺める。このくそ寒いのに軽装で湖畔を走ったり、歩いたりしている人がたくさんいた。俺が完全装備の服装で股関節が痛い股関節が痛い言っているのとはきわめて対照的だ。俺もああなりたいものだ。しばらくして母と妹が戻ってきて合流。水戸の植物園の場所を確認に行って、県庁の方のスタバで休む。チョコレートプレッツェルモカとチョコレートチャンクスコーン、締めにフォームドピオエスプレッソを飲んでいると、成人式と思われる和装の女性が店内に入ってきた。

千波湖 そうか明日は成人の日か。俺は24年前に二十歳になった。二浪目俺は完全にふてくされていて成人式には行かなかった。窓から着物やスーツで着飾った同級生たちが行き交う姿を「けっ!浮かれやがって」という思いで見ていた。母が公民館に行って記念品をもらってきてあったがそれを一瞥して自室に引っこみ、今と同じようにコタツに入ってぼんやりとして過ごした。「俺は華やかな場所には似つかわしくないんだ」と、自分の価値を否定し続けた。今もそれは変わっていないし、ということは全然成長の痕跡が見られないということだ。24年も経っているのに。なんて思いながら視野の端っこに振り袖姿の女性がぼやけて映っていた。俺は久しく華やかな場所に行っていない。大学の入学式も卒業式も行かなかった。俺はことごとく、華やかな場所を避けてきた。それは未だに続き、あえて避けなくても華やかな場所のほうが遠のいていった。人生の節目節目を、俺は独り孤独に通過してきた。そして今、望まずとも孤独。それを俺は「さびしいさびしい」と嘆いているのだ。自分から迎え入れておきながら。13時50分、水戸を離れ帰路へ。

 14時20分、鉾田市勝下新田(旧旭村)の物産店で食材などを買う。試食で出された干し芋(丸干し)がとても美味しく、買って帰ってきた。15時、潮来・ホームジョイ本田で灯油を購入。リッター96円。だいぶ高騰している。潮来インターの方を回り、掘割のペットショップ『アミーゴ』でカメの水草を買いがてら、犬を見る。と、見覚えのある風貌の犬が。シェルティ。懐かしい。我が家の初代の犬はシェルティだったのだ。最近ではシェルティは珍しくなったが9万以下で家族になれる。でも今はモカがいて迎え入れたらきっとモカが焼きもちを焼いて性格が悪くなってしまうような気がしたのでまたねということで。次、PC DEPOTに寄り1000BASE-TのLANボードを見るがお目当てのものはなく、通販で買うことにした。15時40分、出発。大野原?知手?宝山?太田?但馬山?日和山?矢田部中央?土合西?土合中央?自宅着16時15分。

 と、このあと、ちょっとした事件が起きる。カメラの写真を取り込もうとデスクトップPCの電源を入れた。モニタに何も映らない…くそっ、メモリがやられた!これには実は布石があって、朝5時頃、ブレーカーが落ちてしまった。パソコンも容赦なく電源が落ちた(今使っているノートはバッテリーに切り替わって無事)。なんか嫌な予感がしたまま出掛け、帰って電源入れたら案の定…。畜生、また父に買ってもらわなければいけない羽目になった。母には小言を言われるしあぁ、ついてないときゃついてないんだ、というのが1年365日続くのは辛いなぁ。経済状態が良くない我が家にパソコンという代物の維持費はちょっと辛いのかも知れない。あぁ、一日の終わりに、あぁ嫌な気分。このパソコン、壊れすぎだろ!カネがもたんわぁ。はぁ…外出で疲れた心身に、また辛いおまけがついた。こういう気分で一日を終えるのは嫌だ。また余計な出費、それも嬉しくない出費が嵩んで小言を言われ心にわだかまりがある状態で今日も寝なければならない。明日になってもこれは尾を引くだろう。ほんと、嬉しくない買い物って嫌いだ!なんて軟なメモリなんだろう。はぁ、今日はあと何回ため息つくんだろうな。あぁやだやだ。

7日土曜日 ドライブとかギプスとか

 4時サインバルタ®20mgカプセル3カプセル、ルボックス®50mg錠2錠、エビリファイ®3mg錠1錠、レボトミン®5mg錠1錠、ローコール®20mg錠1錠、イリボー®5?g錠1錠を服用。

 胃なのか横行結腸と下行結腸の境なのか、とにかくそのあたりにわだかまりがある。結構以前からなんだが、悪いものなら死ぬだけだと思っているので内科でも特に何も言っていない。言うつもりもない。判って2、3日以内で死ぬのが俺の理想。もう体中不調だらけなんだが医者に言うつもりはない。どうせ無駄な延命措置がなされるだけだ。ただでさえうちにはカネがないのに社会的価値がゼロの俺にカネ掛けてどうする。命の重さには軽重があるんだ。社会・人に影響を与える重い命と、死んでも何ら社会にも人にも影響を及ぼさない軽い命が。勿論、俺は後者だ。究極の選択例えば配偶者、子のある勤労者と俺が救急でぶつかったとする。人手が足りない、優先順位を決める必要がある、とすると俺は後回しになるだろう。配偶者も子もなく、仕事さえしていない、社会的に無価値だ。死んでも誰も困らない。困るとすれば、俺の死体を焼いて骨を拾い納骨する人がめんどくせぇなぁと思うことくらいだろう。

                         *

 話は変わって、午前中、今日休みだった妹とドライブに行ってきた。大野原?潮来?鹿嶋?息栖?小見川?旭?銚子?犬吠埼?波崎?土合のコースで。俺はまた完全に意識がありつつ気を失っていた。景色をただひたすらぼや?っと眺めていた。なにか色々話したような気もするが覚えていない。車の助手席に乗るといつもそう。癒され…ているんだろうか…それさえ判らないくらい意識は飛んでいる。そして、最後にモカ(犬)に出迎えてもらって今日のドライブはおしまい。

                         *

 午後からは、少しコタツで休んで、日記などしたためていたがなかなか筆というかキータッチが進まず20時1分までかかってまだこの程度である。さびしいのはだいぶ取れてきたが、今度は物事が考えられない。だから文章が書けない。サインバルタ®、ルボックス®、エビリファイ®、リーマス®という4本柱でもどうもうまくいかない。これまでずっと、同じような経過を辿ってきた。うつが良くなってくると物事が考えられなくなり、それがしばらく続いた後、またうつに戻る、という…。現在、気分的には悪い方ではない。今、珍しくCD がかかっている。椎名林檎の『ギプス』。南大泉の部屋を出て、薄暗い板橋のアパートで聴いた『ギプス』。…あなたはすぐに写真を撮りたがる…トリプタノールが効いて半ば放心状態で過ごしたあの日々ベッドに横たわって、眠るでもなく天井を見つめ、この曲を繰り返し繰り返し聴いていたっけ。トリプタノールはなんていうか不安・焦燥を強く抑え込んで、意識がぼや?んとした状態になっていた。あの精神状態は特殊だったなぁ。感情を取り去るクスリというか。あのクスリはもう飲みたいとは思わないなぁ。

                         *

 只今21時43分。トリプタノールを「感情を取り去るクスリ」なんて言ったけど、その点に於いてはSSRI、SNRIも同じようなもんで、ただ意識はクリアーという。ただクリアーだから何かできるってんでもなく、根本的に意欲ってものが出ないんだ。だもの何もできるはずない。意欲があるのにそれが上がらないのか、それともそもそも意欲というものが枯れてしまってないのか。ないものを幾ら上げようとしたって上がるはずない。俺は一体、どっちなんだろう?今日はこれ以上書けそうにない。(22時21分)

12月1日日曜日

 立ちくらみがする。4時20分、サインバルタ®20mgカプセル3カプセル、ルボックス®50mg錠2錠、エビリファイ®3mg錠1錠、レボトミン®5mg錠1錠、ローコール®20mg錠1錠、イリボー®5?g錠1錠を服用。昨夜も静かに過ぎ去っていった。何もなく安全無事に過ごせるということはありがたいことだが、身の安全や心の平穏に関係ないものでなんにもないというのは毎日はちょっと辛いものがある。

 12月1日日曜日、今日はどこも出掛けないことにした。体調があまり良くないし怠いので…。今月はクリスマスイルミを観に連れて行かれたり、嫌でも出掛けることが多くなろうから、今日一日くらいどうってことないのだ。しかしそれにしても俺にとってのクリスマスの意味は解っているだろうに、何故俺をクリスマスイルミを観に連れて行くんだろう。解らないふりをしているのか、それとも逆療法か。

 13時55分、昼食。14時20分、ルボックス®50mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠を服用。

 17時、ルボックス®50mg錠2錠、レボトミン®5mg錠5錠、リーマス®200mg錠1錠、ロヒプノール®1mg錠2錠を服用。

 今日は昼間じゅう起きていた。昼型に、戻りそうだ。今日は母と大喧嘩もしたし、疲れた。(20時26分)

20日水曜日

 6時45分、サインバルタ®20mgカプセル3カプセル、ルボックス®50mg錠2錠、エビリファイ3mg錠1錠、レボトミン®5mg錠1錠、ローコール®20mg錠1錠、イリボー®5?g錠1錠を服用。プラシーボ(プラセボ)効果かそれほど落ちていない。ただ、効いた?ぁ!という感じではまだない。そりゃそうだろう初回飲んだだけで劇的に効くなんてリタリン®じゃあるまいに。2週間前後、かかるんじゃないかなぁ。

 イライラが出たので11時55分、頓服のレボトミン®25mg錠2錠を服用。加えてルボックス®50mg錠2錠、レボトミン®5mg錠1錠を服用。はぁ?。なんつうか虚しいねぇ。貧乏揺すりが出ている。テレビもうっとうしい、ラジオもうっとうしい。「だったら寝れば?」と言われるかもしれないが眠くない!

 喉がかゆくて水洟が出る。風邪ひいた。

 街もネット上も、もうクリスマスの装い。クリスマスクリスマスというけれど、俺にはクリスマスにトラウマがあって怖い。精々、家族でファミマのチキンでも食うくらいだろう。俺はクリスマスになると、葬式みたいな気分になる。俺は一生、この時期になるとこんな思いで過ごすことになるだろう。まぁあの日が、6年半続いた最後の恋愛の命日だから。あれから14年、未だにいい思い出にはならない。きっと一生、いい思い出にはならない。あの人にとっては無駄な6年半の時間を、のしをつけてお返ししたい。

                       *

 あー。ゆううつだー。いらいらするー。俺のこの感情を鈍麻させるためには、レボトミン®(ヒルナミン®)500mg?1000mg必要な気がする。こんなつらい思いをするのなら、俺はクスリを使ってただぼ?っと生きている状態になりたい。「自殺する」という選択肢が認められないならばね。もはや俺は、何も為せぬだろうから。

                       *

 Lineを使ってのいじめが横行しているらしい。仲間外れになるのが怖くて延々といやいやながらチャットに付き合っている子供もいるらしい。使う人間の程度が低いと、こういういじめが横行する。
 だいたい、高校生含めそれ以下の子供にスマホ持たせる親も親だ。大抵、つるむ人間たちの中では、常に粛清という儀式が行われているのを俺も何度となく見てきた。だいたい、いじめる奴ってのは、どんな手段を使ってもいじめるわけで、新しいコミュニケーション手段ができればそれを使っていじめる。最終的に教室の机の上に花を置いたりして。
 いつもそういう奴とその親の言い分は「いじめられる側にも原因がある」という。原因があったらいじめてもいいのか。だったら俺もいじめている奴をいじめる。俺のいじめは残酷だぞ。のこぎりで頭を割いてやったり、ペンチで足の生爪剥がしてやったりそこにからしとわさび塗り付けて、金づちで叩き潰してやる。本当にやるぞ俺は。眼にタバスコ点してやる。犯罪ではあるが、どうせ俺は終わった人生だから。
 ともあれ、俺が代執行しなければならないような案件がなくなることを望む。多分なくなんないけどね。人間、一定割合の欠陥品がいて、数が増えれば欠陥品の数も増えるからな。ま、俺も欠陥品だけど、欠陥品にもいろいろあるから。
 ちなみに俺はガラケーもスマホも持っていないのでLineも使ったことはない。が、パソコンのインターネットの世界でのいじめやら脅迫だのは経験してきた。実に陰湿。会員パスワード認証制の掲示板を使って俺の悪口を書き込んでいた集団もいたし某有名巨大掲示板で「?をぶちのめすスレッド」というのを立てて悪口言い放題していた輩もいる。
 しかし何であの某有名巨大掲示板の人たちは人として問題がある人たちばかりなんだろう。まぁ、類は類を呼ぶというしな。俺はあの某有名巨大掲示板にはアレルギーがある。気に食わないとすぐ「死ね」だ。だから二回くらい見に行ったことがるがもう見に行かないことにした。そもそも主宰からして人として問題がある。

 俺の嫌いな言葉(肯定的な意味としての)やばい(やべー)、やっぱ、うざい(うぜー)、ちげー、まじ、むかつく、きもい等。他ネットスラングの類。これは俺が歳を取ったから嫌いなのではなくて、十代の若いころからこの類の言葉は嫌いで使わなかった。多分、ヤンキー言葉を嫌うところから始まってるんだと思う。
 高校生の頃付き合った彼女が付き合い始めたその日にヤンキー言葉を使ってその日に嫌いになった。それからはどうやったら別れられるかそればかり考えていた。一切手を出さずにいたらやがてフラれてラッキーだった。

                      *

暗い部屋 あー…今日もなんだかパッとしない日だった。胃がもたれるような痛いようなそんな感じはするしイライラするし体に力が入らないし…このゆううつ、リビングだとそうでもないんだよな。広さかな明るさかな。この部屋は8畳だけどリビングはもっと広いし、照明もこの部屋はあまり明るくない。それに窓にもこないだの台風で騒いだときにベニヤ板を張っていて、ただでさえ車庫の陰で暗いこの部屋がさらに暗くなって、更に照明も明るくない…これかもしれないなぁ。入った途端ゆううつな気分になるのは、それくらいしか思いつかない。他にはオカルトチックに悪霊が棲みついているとか…。とにかく、俺はこの部屋、あまり好きではない。暗いのは嫌だ。

 もう翌0時55分。はぁ今日(昨日)も充実感なく、過ぎ去って行ってしまった。寝ようかな、もう…。(翌1時)

13日水曜日 22歳

 今日も調子悪く、一日寝ていた。特に書くこともない。ん?なんかキーワードないかな。44歳…じゃぁ半分の22歳にしようか。

 22歳、俺は高校2年の時から始まった精神的不調を抱えながら浪人生活のようなプー生活のような半同棲生活のような、ん?結局プー生活なんだろうななにぶん、勉強をしてる間を浪人生活とするなら、俺は普通に言う四浪目の10月まで勉強なんかしていなかったんだからプー生活と言った方がいいんだろうな。

 で、ま、「大学入ってた方がプー太郎するにしてもまぁ後ろめたさが減る」という邪な考えで大学入ろうと11月受験勉強を始めた。

 高校も碌に行っていないから勉強なんてするのはほとんど初めてだった。が、独自に編み出した丸暗記勉強法で翌春大学に入るのだが。

 勿論、第一志望(W政経)に入れるはずはなく(…当日、あまりの緊張からびびってパニックになり受験せずに部屋で寝ていた。)滑り止めの二大学に受かって、でも滑り止めだからどっちの大学も眼中になくて興味もなかったのでどっちに入ればいいのかわからず友人に「「○大」と「●大」どっちいけばいいんだ?」と訊いたら「「○」に決まってるじゃないか」と言われたのでふぅん、そうなんだぁ、という間抜けな感じでその大学に入った。

 それから束の間のモラトリアムが始まった。出席をとる授業だけに出る。試験期間に入ると出回る模範解答を丸暗記して定期試験を乗り切ると言った感じでほぼ今と同じような生活をしていた。

 大学1年の時はふらふらと東武東上線に乗って下赤塚で降り、少し歩いて光が丘公園によく遊びに行った。その時に拾ったどんぐりが数日前に書いた今庭ででかくなったクヌギの木だ。

 大学2年からは彼女と同棲生活を始め家事などをちょこちょこっとやりながらプー生活を続け大学4年、就職活動中うつが悪化して玉砕。

 卒業後は法学系資格学校に通いながら生活していたが99年、30歳の時いよいようつが極限に達し意味不明な言動が増えて彼女にフラれ、暮らした部屋を出て板橋に部屋を借りた。

 03年、通っていた精神科で出された四環系抗うつ薬(ルジオミール®、テトラミド®、テシプール®)いずれを処方された時も痙攣発作・意識消失して救急搬送されることが続き実家に強制送還され現在に至る。

 実家へ戻ってきてこの地域の中核病院の精神科で2回主治医が変わり3人目の主治医の時医師不足という事でその病院を追い出され紹介状を持って現在の精神科クリニックに通っている。

 こう書いてくると、俺は高校2年の時に、既に精神疾患を患っていたのかも知れない、というか実際精神科にも連れて行かれている。その時にはまだ精神科というものに対し俺には偏見があり、「なんで俺が!?」という感じで薬にも手を出さず、そのまま放置していたが、今になって思えば当時ちゃんと治療をしておけば、現状に至らずに済んだのかも知れない。

 …といったことを俺は過去にも何度も書いている。そして今年44歳。16歳で始まった精神的不調は既に人生の半分以上の28年の付き合いになり、今日のキーワード「22歳」の倍の歳になっていた。

 う?ん…運よく66歳にはなれたとしても今の倍の88歳にはなれないだろうな。今後俺はどうやって、生きていけばいいんだろうか。遂に俺の精神疾患は遷延化してしまった。

 心を病んでいるというか、気分が晴れないとか、不登校になっている皆さん、ぜひ早いうちに精神科…という言葉が嫌いならば、神経科、心療内科を名乗っている病院もありますからそういった医療機関に行った方がいいです。さもないと、俺のようになる可能性が高いですよ。

 俺はもう、救いようがない状態に陥っている。全く何もやってないわけではないが、未来は、暗い。俺は吹雪の中、素っ裸で放置された赤ん坊と同じだ。命の火は近いうちに消え失せるだろう。もう、なんか、心の灯は消えてしまっている気がする。結局22歳というキーワードも、俺にとってなんの救いにもならなかった。元はと言えば10歳で始めたドラムと生来持っている怠け者の資質が、現在の俺を形作ってしまったのだ。多分なんのキーワードを持ってきても、それらのどこをスライスしても救いようのない俺の現状が浮かび上がってくるだけだ。もう俺は、救いようがない。救いようが、ない。(翌3時46分)

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