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カテゴリー「自己紹介」の検索結果は以下のとおりです。

16日火曜日 診察日

 今日は診察に行くのがとてもだるくて辛くてどうしようもなかった。んー。なんかねぇ、診察自体は嫌じゃないんだけれど、それまでの心の準備が辛い。文書作成もちょっときつい。でも、自分で申し出たのだから、書かなきゃしょうがない。これも強迫観念なんだが。俺の身の回りの物事全て強迫観念で成り立っている。なにか完璧にやろうとする傾向がある。どうせできないのならそんなバカげたことしなければいいのに。精神擦り減る。人は誰しも、強迫観念めいた意思で生きている。パンクチュアリティ…時間厳守なんかそうでしょ、あれだって一種の強迫観念。あの感じをあらゆる事象でやってみな。辛いから。「30歩以内でその交差点まで着かないと俺は死ぬ」とか。「玄関の鍵が閉まっていなかったら親しい人に不幸が起きる」とかね。「そんなはずはない、馬鹿げている」と思っても変なイメージが暴走して止まらなくなって、最終的に強迫観念に屈してしまい、強迫行為で強迫観念を解消若しくは、せめて軽減したがるのだが一度屈したら最後、どこまでも強迫観念は追いかけてくる。

21日 土曜日

 神栖市街から息栖を通り、息栖大橋、小見川大橋を渡り、旭の方を回り、銚子、犬吠、魚市場、新生、唐子、銚子大橋を渡り波崎のウエルシア薬局で洗剤などを買い、カスミ(スーパー)で食材などを購入し、ケーズデンキで電池を購入、帰宅17時。カスミよりウエルシアの方が紅茶の種類が多い。

 ロヒプノールを飲みすぎたかまだ効いているようだ。眠い。

 寝ようと思ったら夕食になったので、塩うどんというのだろうか、そういうものを食べた。美味かった。

 食後、眠たかったので寝た。上の行まで書いてあったのでこの行を書いて終わることにする。

26日 土曜日

 まぁ現在、日を跨いで27日なんですけどね、まだ寝てないので26日分の日記ということで。んー、ネットがない時代から俺は「ファクシミリ用紙4mm方眼」に書いていたんです東京に出てから。暇つぶしになったかな。その頃から、一行一句一文字を方眼の升目に合わせて書くのが得意だった。それから、結構漢字とか表現とかを辞書を引いて書いたりしていたから。僅かだけど文章を書く勉強に少しはなったかもしれない。社会学はレポートで「優」(テーマは立花隆の『脳死』)をとったし。

 読書は、比較的好きな方。でもあんまり文学作品は読まないけれどね。どっちかというと『サブカルチャー』(笑)や医学・薬学。大学で専攻した「法律」は、かなり苦手なほう。欲求は理系にあるんだけれど、理系にどうも向いてないみたい。だいたいねぇ、中学校の「図形の証明」が未だにできたことないし基礎解析、代数・幾何、微分・積分なんて、赤点か赤点ちょっと上くらいしかできない。多分高校の時、単位、足りなかったかもしれない。なんで卒業できて大学に入れたのかわけわからない。世の中、そういうことがあるもんなんですよ。七不思議の1つですねぇ。

 いい大学に入りたかったら高校なんて行かないほうがいいと思う。余計な行事や煩わしい人間関係。そんなことで時間を食っていたら、すごくもったいない。無駄。今になって思えば高校でのサークル活動とか恋愛なんて、無駄以外の何物でもない。せいぜいノスタルジーに浸るくらいが関の山だろう。今思えばね。無駄だよね。なんの足しにもなっていない。「学校」という集団教育課程が俺の人格を捻じ曲げた。

 エアコンかけて暖かくなったら眠くなってきた。本格的に眠くなる前に何かOSをインストールしてみよう。(翌2時1分)

11日水曜日

 kao今日は妹が休みだったので妹の運転でドライブに行ってきた。神栖・平泉のケーズデンキカスミセリアに行く。ケーズデンキはやっぱりというか致し方ないというかパソコン関係が弱い。PC DEPOTにはやはり敵わない。セリアでキャニスターとジッパー付きビニール袋を購入。カスミで食材など購入。

kskamisu それから鹿嶋・神向寺・粟生東山~居切~神栖・堀割・平泉~息栖~小見川~//~旭~//~飯岡~八木~銚子・八木町~三崎~名洗~高根~天王台~犬吠~犬吠埼~君ヶ浜~海鹿島~黒生~川口~飯沼~新生~唐子~銚子大橋~//~仲新田~駒立~土合東~土合中央~自宅着13時25分。

 旭市街右は旭市街。大型総合病院があるためか銚子より栄えている。銚子はこの病院ができる時候補に上がったが市民が反対運動、また、発電所計画が持ち上がった時も市民が反対。何でもかんでも反対というのが愚かな共産党的行動。結局『銚子市立病院』も衰退、街自体も衰退、それを教訓にか、『千葉科学大学』誘致に動いたが時既に遅し。遅きに失した。商業は軒並み衰station退、大型百貨店の経営計画ミスで廃業、取り壊し、後継施設計画も全くダメ。一応、出店しているが、栄えている話は全く聞かない。唯一、『イオンモール銚子』が市民のよりどころだが、市街からは極端に外れているし、ここが市街となる気配も全くもってない。この付近にはケーズデンキヤマダ電機が出店しているが閑散としている。何故営業ができるのか謎である。左は銚子駅駅舎である。閑散としている。

大橋 これは銚子大橋。3.11があったため遅れて完成。旧大橋はトラス橋だったが新大橋は斜張橋になった。なんともないような橋だけれどこれがなくなったら大混乱に陥るだろう。その意味もあって、新大橋の上流側、利根河口堰大橋の下流側に『利根かもめ大橋』が建設された。ただ利根かもめ大橋は有料であり、2016年5月12日現在、片道210円の通行料金がかかる。邪推だが、かもめ大橋の料金が高いのは、銚子新大橋の分も徴収しているのでは?と思う。ウエルシアなお、2015年度は7/1~9/30の間、無料開放された。今年これが実施されるかは2016年5月12日現在、不明である。左の写真は駒立のウエルシア前。手前にはセブンがある。「駒立駒立…」と言っているがこれはバス停留所名で、実際住所を表記する場合には「矢田部」となる。この信号を右折すると「土合」である。土合東、土合南、土合北、土合西、土合中央、土合本町がdoaiある。土合は1970年代~1980年代は現・土合本町付近は社宅がたくさんあって、現・土合東西南北中央はまぁ、新興住宅地かな、という感じだったが、バブルはじけて以降は、社宅の老朽化と固定資産税対策でどんどん社宅が取り壊され、そこは宅地として売りに出された。社宅に住んでいた人達が宅地を買い、家を建てて土合住民となり、福祉関係が充実していることや、土合が奇跡的に3.11の液状化や津波を免れたことで「土合は安全だ」神話が流布し銚子市民が川を越えて大挙して土合にやってきたのだ。別に自慢することでもないが、この「土合東西南北中央(本町を除く)」の一番住民はうちなのである(since1974)。当時はただの砂地で荒れ果てていた。母が当時の波崎町長に上下水道電気電信電話を通してくれと直談判に行ったのだ。それを聞いて、俺はビビったね。もう42年経つか…。最後の写真はウチがある通りである。比較的静かだ。およそ30年前以降は。何故なら俺がドラムの練習をしていたのが30年前だからだ。俺が東京に出て以降、この住宅地は静寂を取り戻した。騒音の主が13年前に戻り、以来この地で生きている。怒と哀で生きている。今日は移動距離が長かったためかちょっと疲れた。(翌日)

27日水曜日 記憶なし

部屋 なんかずっと寝ていたようで記憶が無い。起きたら16時30分。現在18時20分。現在19時22分。書くことがないんだよね。現在20時58分。写真は俺の部屋の全景。コタツとホットカーペットがまだ出ているというのに、扇風機も出ているといったこの矛盾(笑)。ベッドとかはない。煎餅布団。PCボディ下にある黒い収納ボックスはいろいろごちゃごちゃしがちなものを入れている。これで結構片付いてる。枕

 PCの前に座って背中側を写した写真。真ん中にある茶色の包み(帽子の上)は更紙(わら半紙)。二〆ある。調子のいい時(20年ほどこの状態になっていないが)はこれにボールペンで殴り書きして暗記する。水色のタオルケットがたたんであるのは枕。枕が高くないと眠れないのでクッ                                                                                                              

薬ションやら座布団やらがタオルケットの下に積んである。テーブルの上には小荷物の段ボールやらアロマオイルが置いてある。

 薬の瓶。茶色のボトルはロヒプノール®、真ん中はレボトミン®、その右はリーマス®。だめです。売りませんよ(笑)。譲渡も致しません。

 

時計 先日もアップしたが、お気に入りのウォッチ。左はいただき物のCASIO Wave Ceptor、右はCYBEATの1,000円ウォッチ。WaveCeptorはシンプルイズ地味だがソーラーの上電波で省エネ+正確。右のCYBEATはデジタル部が1日1秒遅れるがアナログ部は大丈夫、しかもゴツくてかっこいい。レッドメタリックはMAZDAの高級本車を彷彿とさせる。先日カワチ薬局で1,980円のウェーブソーラーをみつけて買いそうになった。それもやはりアクセントカラーはレッドメタリック。どうも俺はレッドメタリックに弱い。

 高校の頃から使っているライトハウス英和・和英辞典と特に意識していないがいつの間にか本棚にあった新選国語辞典。他コンサイスカタ乙葉カナ語辞典、ピルブック、労働法全書等。昔は好きで、読むだけではなく自分で描くほどだったが、今は好きじゃないのでマンガは持っていない。ストーリーがめんどくさくなった最近のマンガは読む気がしない。今はほとんどPC雑誌、鉄道雑誌(笑)、コーヒー・紅茶関係の本、地図、サブカル、薬学関係といったところ。右の写真集はだいぶ前の乙葉の"Love Story"。これぐらい肉感的じゃないとね(笑)。

 今日はネタが極度になかったのでこういう書き方をした。明日(2016年4月28日度)はなにかネタがあると良いのだけれど。(翌2時2分)

15日水曜日 幸せと引き換えに

偽りの俺 高校一年の春から俺は急激なダイエットをした。171cm、80kgあったのを、2か月半で45kgまで落とした。サウナスーツの上にトレーナーだのやっけだのを着込んで2時間毎日走る、食事はキャベツの千切りとリポビタンD、それに伊藤園のウーロン茶ショート缶キンキンに冷やして飲み放題。だけど食べることが何より大好きな俺にとってとても大きなストレスとなり、徐々に精神を病んでいった。精神を病んだそもそものきっかけは、中学3年の時当時付き合っていた彼女にフラれたことがきっかけだった。あとになって、「やっぱり好き」と電話が来たんだが、どうせ本命にフラれたから元鞘を狙ってんだろうと思い無言のまま電話を切った。受験期だった俺は、なんだか心の歯車が徐々にずれていった。よくもまぁこの精神状態で第一志望に受かったといえるほど精神は荒廃していた。高校に入っても遅刻早退中抜けといった感じで俺はもうすぐおかしくなるんだろうなぁ…と…。高校2年の時バンドに誘われそれに没頭する。ちょっと銚子では有名になった。そして、こんな俺にもバレンタインデーのチョコが届いたり、彼女が出来たりもした。でもこれは、太っていたらありえなかったことだろう。彼女と別れ、いよいよ俺の精神の荒廃は増していった。過激なダイエット、食べ物が食べられないストレス。目は落ちくぼみ頬はこけ気は荒み怒鳴ったり暴れたりを繰り返していた。ジーンズのウエストは27インチ(1インチは2.54cm)ぴんと来ないだろうが今のジーンズは42インチである。太っているコンプレックスの解消と、精神の安定を引き替えにしたのである。そして今、精神の安定を得るために、俺は本来の俺(太っている俺)に戻った。果たして精神の安定は得られたか?答えはネガティブである。長いこと続いた精神的荒廃は、思いのほか脳にダメージを与えたようだ。精神は荒廃したまま固定してしまった。もう、回復は無理だろう。唯一出来るとすれば、かなりの労力を要するが「新しい人格の獲得」ということだろう。残念ながら現在の人格が許されるのはミュージシャンやアーティストくらいのものだろうから。普通の社会生活は無理だ。写真は体重が54kg位の頃のもの。

27日土曜日 コンプレックスの塊

 これを読んだことある方々既にお気づきだと思うが、俺はコンプレックスの塊である。容姿に始まって、人格、知識、学歴…。俺は実質四浪(99%遊んでいたが)なので、W大くらいは出ておきたかったし、ホントの事言えば旧帝大に行きたかった。ただ、俺はドラムばかり叩いて勉強など少しもしたことなかったし(っていうか生まれてこの方勉強したのは四浪目の11月〜翌年2月だけである。)、そもそも、俺には、小さい頃から「勉強」という習慣がなかったのである。高校の時なんか、微分積分、代数・幾何、基礎解析など数学系や、物理、科学などは定期試験で赤点以上取ったことがないのだ。赤点というか0点である。0点以上、取ったことがないのである。原因は勉強しなかったからである。

 16時半頃学校から帰ってきて、ドラムを叩き始める。21時近く迄ドラムを叩く。メシらしきものを食う。風呂(42℃以上の)に2時間以上浸かる、で23時過ぎ。2時頃までTVを見る、寝る。「勉強」の入る余地が全くない。これで点数取れたら天才である。俺は凡才なので当然0点。はっきり言って、中学校数学の「図形の証明」は今でも全くわからない。なぜなら!勉強をしたことがないからである。なのに、高校は進学校に行った。世界の七不思議である。中学校の受験期、その後自らも俺と同じ進学校に行くことになる友人に「○高行くの?そんな頭いいと思わなかった。失礼だけど。」と言われた。ほんと失礼である。でもそれくらい、俺は勉強をしなかった。「勉強」という概念がなかったのだ。

 ただ、受験期に期末テストが重なると、俺の頭はどうしたことか急に回転しだす。理科(第一分野第二分野)百問以上あって一問0.5点とかのテストで100点取る、社会98点取る、など。なんでそうなったのか俺にもわからない。そういうことがあったので、はっきり言って、なめていた。

 で高校2年生から登校拒否(今では不登校というんだろうが)になって3年生もほとんど学校に行かなくて、もう当時からなんか、精神を病んでいたのである。で、現役では受験そのものをせず、計画的に浪人になったんだが、一浪目に当たる88年4月〜89年3月期は病気をしたこともあって精神状態荒廃でまた受験せず、二浪目、追い出されるように東京に出て、同い年の女の子と半同棲。勉強せずアッパラパー状態。その後、「こんな生活はきっともうダメなんだろう、学生という身分を得よう」と四浪目11月〜2月、人生初の猛勉強ののち、M大、H大に合格(というか精神的負担が大きくここしか受けなかった)で、友人に、「M大とH大って、俺どっち行けばいいんだ?」と間抜けなことを尋ねて、友人が「Mに決まってるじゃないか」と言ったので「そうなんだ」とM大にした。

 そんなわけで、行きたい大学でなかったこともあり、未だに愛着がないし、校歌も知らないのだ。入学式も、卒業式も行ってないし。ま、勉強もしないで「W大に行きたかった」「旧帝大に行きたかった」ってのも図々しいよな。入学後、スチューデント・アパシーになるのに時間はかからなかった。もう高校の時に逆戻りである。その後、2つ年下の女の子と同棲、9ヶ月後その子は社会人になり、俺は一日中二人の部屋でぼけ〜っとする生活になった。大学四年、就職活動で行き詰まり、高校のときなったあの妙な精神状態になり、病院に行くとうつ病の診断、精神科の主治医のアドバイスに従い、資格の学校に通うも精神状態悪化で勉強手につかずその状態のまま彼女にフラれて、今のような生活に入りその後2年間で50kg増量それでも資格の勉強をしていたが、家族との相談の結果、「不完全な状態で勉強しても教材費ばかりかかって無駄」との結論にいたり、今年からは教材を買わずに療養に専念することにした。

 50歳まであと5年、それまでに何とかなるんだろうか、それとも廃人になるんだろうか。初めから音楽なら音楽方面に進んでいればよかったんだ。中途半端な勉強はなにももたらさない。高校の進路相談で「音楽方面に行く」といったら必死で進路指導の教師が「大学に行け」と説得してそれに乗っかった感じの俺は自分にちょっと腹が立った。プロ野球選手でも高校から直接プロ入りした人のほうが、大学に行った人より活躍しているのを見ると、大学も良し悪しだなぁと思う。

 学歴のメリットを享受したいのならその頂点に行かなければそんなにメリットはない、メリットがないんなら直接進みたい方向に進んだほうがいい、と俺は思う。まぁなんつうか、学歴のメリットを享受するには勉強はしたほうがいいですよ。それも学歴の頂点を目指すくらいに。学歴のメリットが使えないようなところに就職するのなら、まぁ話は別ですけどね。

 学歴もそうだけれど、もっと大切なのは、目標なんだろうね。早いうちに目標が決まって、ブレないようにすることなんだと思う。俺なんか小学校の頃は漫画家、中学・高校とミュージシャン。それを進路指導で折られて、宙ぶらりん。昔っから医学に興味があるのなら、医者とか、クスリに興味があるのなら薬剤師とか、そう決めてりゃ良かったのに、俺はそこまで大人じゃなかった。上っついた、チャラチャラした職業に憧れていた。

 もし嫁さんもらう場合に、自分の娘を貰いに来る男が「ロックの人」だったら父親はどう思うだろうか。「漫画家」だったら父親はどう思うだろうか。「医者」とか「弁護士」だったら万歳三唱だろうが「ロックの人」「漫画家」だったら苦虫噛み潰したような顔になるだろう。「ロックの人」も「漫画家」も、立派な職業だ。それで立派にメシ食ってるんなら差別されるいわれは本来ないんだろうが、実際「ロックの人」が娘の婿になるのを手放しで喜ぶ父親はきっとそんなに多くないだろう。そういうところまで俺は考えが及ばなかった。その結果「ロックの人」にも「医者」にもなれずただのプー太郎になってしまった。「行くは廃人」決定である。結局今の身分は「ウンコ製造機」である。コンプレックスの塊、無学者・無業者になってしまった。なんの知識も学もなく、職もない、最も軽蔑されるべき人間になってしまった。果ては白骨化死体無縁仏決定。(22時30分)

13日水曜日 22歳

 今日も調子悪く、一日寝ていた。特に書くこともない。ん?なんかキーワードないかな。44歳…じゃぁ半分の22歳にしようか。

 22歳、俺は高校2年の時から始まった精神的不調を抱えながら浪人生活のようなプー生活のような半同棲生活のような、ん?結局プー生活なんだろうななにぶん、勉強をしてる間を浪人生活とするなら、俺は普通に言う四浪目の10月まで勉強なんかしていなかったんだからプー生活と言った方がいいんだろうな。

 で、ま、「大学入ってた方がプー太郎するにしてもまぁ後ろめたさが減る」という邪な考えで大学入ろうと11月受験勉強を始めた。

 高校も碌に行っていないから勉強なんてするのはほとんど初めてだった。が、独自に編み出した丸暗記勉強法で翌春大学に入るのだが。

 勿論、第一志望(W政経)に入れるはずはなく(…当日、あまりの緊張からびびってパニックになり受験せずに部屋で寝ていた。)滑り止めの二大学に受かって、でも滑り止めだからどっちの大学も眼中になくて興味もなかったのでどっちに入ればいいのかわからず友人に「「○大」と「●大」どっちいけばいいんだ?」と訊いたら「「○」に決まってるじゃないか」と言われたのでふぅん、そうなんだぁ、という間抜けな感じでその大学に入った。

 それから束の間のモラトリアムが始まった。出席をとる授業だけに出る。試験期間に入ると出回る模範解答を丸暗記して定期試験を乗り切ると言った感じでほぼ今と同じような生活をしていた。

 大学1年の時はふらふらと東武東上線に乗って下赤塚で降り、少し歩いて光が丘公園によく遊びに行った。その時に拾ったどんぐりが数日前に書いた今庭ででかくなったクヌギの木だ。

 大学2年からは彼女と同棲生活を始め家事などをちょこちょこっとやりながらプー生活を続け大学4年、就職活動中うつが悪化して玉砕。

 卒業後は法学系資格学校に通いながら生活していたが99年、30歳の時いよいようつが極限に達し意味不明な言動が増えて彼女にフラれ、暮らした部屋を出て板橋に部屋を借りた。

 03年、通っていた精神科で出された四環系抗うつ薬(ルジオミール®、テトラミド®、テシプール®)いずれを処方された時も痙攣発作・意識消失して救急搬送されることが続き実家に強制送還され現在に至る。

 実家へ戻ってきてこの地域の中核病院の精神科で2回主治医が変わり3人目の主治医の時医師不足という事でその病院を追い出され紹介状を持って現在の精神科クリニックに通っている。

 こう書いてくると、俺は高校2年の時に、既に精神疾患を患っていたのかも知れない、というか実際精神科にも連れて行かれている。その時にはまだ精神科というものに対し俺には偏見があり、「なんで俺が!?」という感じで薬にも手を出さず、そのまま放置していたが、今になって思えば当時ちゃんと治療をしておけば、現状に至らずに済んだのかも知れない。

 …といったことを俺は過去にも何度も書いている。そして今年44歳。16歳で始まった精神的不調は既に人生の半分以上の28年の付き合いになり、今日のキーワード「22歳」の倍の歳になっていた。

 う?ん…運よく66歳にはなれたとしても今の倍の88歳にはなれないだろうな。今後俺はどうやって、生きていけばいいんだろうか。遂に俺の精神疾患は遷延化してしまった。

 心を病んでいるというか、気分が晴れないとか、不登校になっている皆さん、ぜひ早いうちに精神科…という言葉が嫌いならば、神経科、心療内科を名乗っている病院もありますからそういった医療機関に行った方がいいです。さもないと、俺のようになる可能性が高いですよ。

 俺はもう、救いようがない状態に陥っている。全く何もやってないわけではないが、未来は、暗い。俺は吹雪の中、素っ裸で放置された赤ん坊と同じだ。命の火は近いうちに消え失せるだろう。もう、なんか、心の灯は消えてしまっている気がする。結局22歳というキーワードも、俺にとってなんの救いにもならなかった。元はと言えば10歳で始めたドラムと生来持っている怠け者の資質が、現在の俺を形作ってしまったのだ。多分なんのキーワードを持ってきても、それらのどこをスライスしても救いようのない俺の現状が浮かび上がってくるだけだ。もう俺は、救いようがない。救いようが、ない。(翌3時46分)

無題

 最初に俺が精神科に行ったのは高校2年か3年生の時である。学校に全く行かなくなり、結構早い段階から精神科に連れて行かれた記憶がある。

 当時は薬には全く興味がなく、飲まずに入り浸っていた生徒会室の机の引き出しにしまっておいた。するとこともあろうに失恋した(?)同級生が薬を全部飲みやがったのだ。服毒自殺未遂。薬のパッケージなんて見もしなかったから今となっては何の薬を飲みやがったのか知る由もない。

 精神科に通ったのは2回くらいだったと思うが、薬には手を付けずそのまま精神科へも行かなくなってしまった。ただ、今になってよく考えると、もう当時から今のような状態に陥っていたのだと思う。あの時点できちんと治療しておけば、あるいは現在の状態に至ることは避けられたんじゃないかと思う。

 1986年、87年の当時だからまだSSRIは当然ないわけで、三環系抗うつ薬や四環系抗うつ薬が主な薬物の治療だったんだろうなぁと思う。でも当時にルジオミール処方されていたらいきなり痙攣起こしてみんなビビっただろうなぁと思うよ。なに飲みやがったんだろうねぇ彼は。トフラニールとかトリプタノールとか?あの、爪の黒くなるのはどんな薬を飲んだらそうなるのだ?

 この精神不調は俺が大学に入るまで、つまり四浪明けの22歳まで続くこととなる。その後は症状は鳴りを潜めたがそれというのも学生という身分が手に入り余裕かましたからに他ならない。でも、学校行かないで一日中うちにいるのは高校時代とちっとも変らなかった。

 95年の6月、就職活動の真っ只中、俺の精神不調はピークに達してたまらず精神科クリニックに駆け込んだ。絶好調は92年から95年までの3年間しか続かなかったわけである。結局精神的不調との暮らしが俺の青春というわけになる。無駄なことに費やしてしまったな。86?92年の6年間+95?12年の17年間の実に23年間、俺は心を病んで生きているわけだ。小学校の時も心身症になって2年くらいつぶしたから、23+2年、約25年、43?25=18年しか俺は普通の暮らしをしていないことになる。人生の過半を俺は心を病んで生きているのだ。

 17年、俺は薬を飲み続けている。初めはホリゾンとドグマチールだったと思う。それからトリプタノールやアモキサンになり、デプロメール/パキシルを試しダメ(デプロメールは強迫性障害には劇的に効いたが何故か中止された。パキシルに切り替えた時かもしれない。)、ルジオミール、テシプール、テトラミドで痙攣を起こし、2001年に連れ戻され二週間おきに帰郷し地元の総合病院精神科に通うようになる。

 トフラニール→アナフラニール→トレドミン→トリプタノール/アモキサン→ジェイゾロフト/ルボックス/レボトミン/リスパダール(補強薬としてデパケンR、ラミクタールを試したこともある。抗不安薬として、デパス、ソラナックス、ワイパックス、セパゾンを服用した時期もあるがいずれも現在は中止されている。)といった薬の変遷を辿る。

 2003年に完全に東京を引き払い実家での生活が始まる。忌わしい記憶が残る2011年3月、俺は総合病院精神科を追い出され、地元の精神科クリニックに転院。現在は4週間おきに通院している。薬はジェイゾロフト、ルボックス、レボトミン、リスパダールとロヒプノールに落ち着いている。ルボックスは効いている結果これくらいで済んでいるという気がする。怒らなくなったのは抗うつ薬とレボトミンの効果だと思う。確実に効いていることは効いているのだ。ただ、症状が多すぎて一つ一つが解決に向かっていないのだ。特に、強迫性障害が厄介だ。ルボックスを飲まないと俺はきっと延々と手を洗い続け、延々と入浴を続けるだろう。ここにきて症状は停滞気味だが、以前よりだいぶ良くなってきているのは確かである。ジェイゾロフトの効果のほどは正直言ってよくわからないが、ルボックスは確かに効いている。ただ、抗うつ効果はどうなんだろう…?うんまぁ、以前に比べれば、いいのかもしれないな。

 ただ、長いことこういう病気を患っていると、時として突如新しい症状が顔を出すことがある。パニックである。多分強迫性障害の一症状として出てきたんだと思うが正直、面食らった。「今更?」という感じである。例えば、排便後に入浴したとするとシモを洗う、体を洗う、頭を洗う…ところでパニックになってしまうのである。要領を得なくなり、手順、段取りがわからなくなってしまって大量の冷や汗、震え、動悸が現れ、パニックになる。これについては、次回の通院時に相談してみようと思う。ワイパックスか何か、頓服で出してもらえればありがたいんだが。

                              *

 急に頭が回転し始めたので、思い立って書いてみた。急にこういうことが俺にはあるのだ。

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