乗換検討
今迄『 Web Liberty 』さんの『Web Diary Professional』をずっと使ってきたが、管理人、ないとさんの開発ウェイトがこのPHP『 freo 』に移ってきたこともあり、そろそろ俺も乗り換えたほうがいいかなと思って、検討がてらテスト書き込みを行ってみる。
今迄『 Web Liberty 』さんの『Web Diary Professional』をずっと使ってきたが、管理人、ないとさんの開発ウェイトがこのPHP『 freo 』に移ってきたこともあり、そろそろ俺も乗り換えたほうがいいかなと思って、検討がてらテスト書き込みを行ってみる。
書き込みが侮辱や誹謗・中傷※であると管理人が判断した場合、非公開設定であっても公開します。ついでにホストも公開します。露骨な宣伝広告等は予告なく削除させていただきます。
また、この日記は結構字を大きくして書いてあるので、キーボードの「Ctrl」キーを押しながらマウスホイールを上(前方)に回して字の表示を大きくすると読みやすくなります。
♪過去の日記♪
豆々式軟禁生活のしくみ2(2008年03月31日(日)~2011年08月31日(月))
豆々式軟禁生活のしくみ(2005年10月02日(日)~2008年03月21日(金))
豆々式日々のしくみ(2003年4月9日(水)~2006年11月6日(月))
2019年03月の記事は以下のとおりです。
今日で平成30年度は終わり。明日から4月、平成31年度、新元号元年度だ。で、今日午前11時半、新元号が発表される。5月1日から新元号に変わって、世の中も一瞬騒ぐだろう、もともと固有名詞として存在した人、土地、等が発見され、大騒ぎして時代が平成に変わった時の混乱。またあれが来るのだろうか。
今日は生憎の天気で、ずっと室内にいた。ちょこちょこ外へも行ったが、庭に行っただけなので外出とは言わない。頭痛い肩肘首背中腰、両脚…なんなのだ。全関節が外れるように痛い。
今日はずっと空を見ていた。ずっと曇りだったが夕刻には本格的に雨が降ってきた。テンション下がる。
明日は水戸に行く。千波湖畔の桜と県庁前の桜を見に。けど開花宣言が出たばかりだから見頃になっているかどうか不安ではある。
すぐ近所にも桜が咲く公園があるんだけれど、木曜日に見た時はまだほとんどつぼみ。もうちょっとかかるかな…。
最近、日記記述中に精神状態が悪くなったりして記述を途中でやめてしまい尻切れトンボになることが多い。最近の情緒不安定の様をよく反映している。今日もその口だ。悪いね、終わるよ。それでも俺は書くぞ。
こんな夜中に目を覚ましてしまって、退屈で仕方がない。1時55分…うちの環境ではAMラジオはNHK第一しか聞こえないので民放はradikoで聴くしかないが…民放各局も『面白い・楽しい・ためになる』か、と問われればYESと即答もできないんだよね。『ウェザーニュースL!VE』のほうがよっぽどいいので起きている時にはアンドロイドタブレット端末でずっとこの番組をかけっぱなしでいる。それにしても、アンドロイドタブレット端末のほうが、デスクトップパソコンよりもずっと画質がいいように思うのは俺だけ?
紅茶を淹れてきた。最近コーヒーを淹れるのにちょっと気力が必要になってきた。紅茶のほうがすっと口に馴染むというか…コーヒーって口の中でいつまでも味を主張するじゃない?良い意味でも悪い意味でもパワーがあるっていうか…まぁ、それがいい時もあるけれど、疲れている時なんか特に、それが嫌だなぁと思うこともあり、最近は紅茶のほうを淹れることが多くなってきた。ハンドルネームも『葉っぱらぱー』とか『葉っぱ64』とかにしようかと考えることもあるんだけれど、後々煩瑣でめんどくさいので『豆々』のままにしておく。コーヒーがいい時もあるもんでね。(2:46)
伯父が呑んでいて脳梗塞になったらしい。叔母から電話があった。すぐ救急車を呼ばなかったという。それぞれ事情があるだろうからとやかくは言わないけれど、医者には「もっと早く来ていればこんなことにはならなかった」と言われたそうだ。そのまま入院とのこと。これから運転のできないママ(伯母)は面会時間を気にしながら本数の少ないバスで病院通いが続くようだ。伯父は大好きなんだけれど、酒が手放せず、一日呑んでいたりということも。それさえなけりゃね…。パパ(伯父)の運転で助手席乗ってドライブしたかったけど、今となってはもう叶わぬ夢。はぁ…残念でならない。
体じゅう痛い。痛い痛い痛い。がん性疼痛ってこれよりひどいんだろうか。
しかしそれにしてもパパは…。なんでよ?
体じゅう痛いのをどうにかしてください。痛い痛い痛い。別にBZP系抗不安薬を連用してたわけじゃないんだけどねぇ。デパス断ちの時と同じくらい痛い。体じゅうの関節が外れるくらい痛い。いってぇなぁ…。(23:47)
診察してきた。数値は悪くなかった。主治医の評価も悪くない。ただ、別な面で歩いている次の瞬間失神してしまいそうなほど意識がすぅーっと遠のきかける。なんなんだ。これで無意識のうち痛くもかゆくもなく死んだならばまぁいいかな。
朝4時半頃起きたのだが、精神状態がとても悪く、サイレース3mgとヒルナミン100mgを飲んでまた寝た。起きたら午後5時過ぎ。スクランブルエッグのようなものが皿にあったので朝食だと思い、「これ食べていいの?」と言ったら「これ夕食のおかずだよ」と言われた。あぁ、俺昼飯も食わないで寝ていたんだ、やはりサイレースを連用しているわけではないので効く効く。頓服として飲んだほうがよさそうだ。これもBZP系薬物だからきっと連用で耐性がつく。
ラジオ深夜便で鈴木雅之の歌が流れている。ラジオ深夜便には相応しくない。それとも爺婆のリクエストなのだろうかいやそんなはずがない。
日本で開発されたブドウなどの新品種が無断で外国に持ち出され栽培、販売されているため規制を設けるという。あのパクリ国家はどうしようもない。国ぐるみでパクリをしているので。
明日は糖尿の診察、何時間待つんだろう。それを考えると憂鬱になってくる。診察は嫌ではないけれど待ち時間は嫌だ。
ドーパミン分泌、OK。人生がほんの塵一つ分だけど楽になった。これがなかったら人生ひとつも楽しくない。よかった、ドーパミンがあって。何度助けられたかわからない。大した意味のない、一見無駄な馬鹿げたことではあるんだけれどドーパミンというホルモンは人を幸せにするね。唯一の天賦のクスリ、ドーパミン。有難いね。ほんとにね。(17:11)
夜の静けさの中に篠笛の音が鳴り響く。新都心の夜景が眩い光を放つ。あぁも、困ったなぁ…この夜長、どうやって過ごそうか…。
なんか腹具合が悪い。しょうがないねぇ。腹が弱いのは最悪だ。あらゆることに影響してくる。社会生活毎回毎回腹痛い腹痛いで通用するはずがない。結腸を取り外したい。(17:58)
腸の調子、だめですなぁ。下痢だ。水様便だ。固形物は、ない。これはー、外出不能だなぁ。マイトイレ引きずって持っていかないとね。夕食も食べる気にならないなぁ…。『胃結腸反射』を亢進するようなことは避けたい。俺、特に胃結腸反射が激しいからね。ほんっと激しい。今日は大好きな肉じゃがだけれど、食べる気にならない。先刻帰宅したひよりはもくもく一生懸命食べてる。
一番の悩み…腹の弱さだね。たかが腹、という人もいるだろうが、大事な場面で腸が暴れだすともう社会生活何もできない。これがなければ俺の人生少しは変わっていたかもしれないね。まぁ、『イリボー』が出る前、過敏性腸症候群(IBS=irritable bowel syndrome)の治療ってセレキノンとかトランコロンくらいしかなかったから…かといって、イリボーが劇的に効くってわけじゃないんだけどね。結局最後はロペミン(強力下痢止め)頼みなんだけどさ。ふくらはぎのツボを潰すくらいに強く強く押してみると、非常にいいね。ここに鍼やってもらいたいね。あーほんとにやってもらいたくなった。
あー。もう23時も30分過ぎる。今日も無駄に過ごしてしまった。ずっとツボ押ししていた感じ。ツボ押しはいいね。痛快ってこういうことをいうのかな。そうなんだろうね。夜中じゅうツボ押ししてるのかな。
老人福祉施設でノロウイルス感染のため2人死亡。体力のない乳幼児・高齢者に、ノロウイルス感染はちょっとつらいね。次亜塩素酸ナトリウムを使わないとね。臭いけど。
調子悪いので寝よう。
今日はひよりと、かすみがうら市・行方市のほうに行ってきた。いつもの『楽郷』に野菜を購入しに行く。まぁ『えのきだけ』だけ欠品だったので、鹿嶋の『チェリオ』に寄ることになるのだが。まぁ『チェリオ』は弁当もあるので今夜の夕食用に買うことになるのだからいいのだけれど。弁当もずっと延々と食い続けるのもなんだけれど、母が足腰悪くなって台所に立っているのが辛そうでかわいそうなので一食弁当にするくらいだけれど、少しは負担軽減になっているだろうか。もう18時半だ。メシ食ってからまた書く。
夕食戴いてきた。あー。眠いな。以前も書いたが寝るのあんまり好きじゃないんだよね。カフェインの錠剤を飲む。200mg錠10錠を服用。それでもまだあくびが出る。精神賦活剤とはいってもさ、所詮カフェインであって、メチルフェニデート塩酸塩の効き目には程遠く、でも程遠いながらもいっちょまえに致死量まで設定されてる。メチルフェニデート塩酸塩と比べれば効き目は比べようもないほど弱いものだが多く摂れば致死量に達してしまうのはしょうがない。
あー。調子悪いわ。終わる。
なんか腹具合が悪く、ふくらはぎのツボの指圧でなんとか持っている。何でか知らんが腹具合が悪い時には、ふくらはぎにあるツボをツボが潰れるくらい力いっぱい押すとスッキリする。なんだろうねぇ。ふくらはぎのツボの件は昔からそうで、因果関係はわからなかったし今でもそうだけれどなぜか胃腸、殊、結腸に効果があることは自覚している。
今、指圧後なのでスッキリしている。なんなんだろうこれをやるとふくらはぎが軽く更に腸の調子もよい。指圧って、ツボって、東洋医学って、なんなんだろうね?これに科学的根拠があるんなら面白いよね。なくてもいいんだけれどね、実際効果が出るんだから。いつだったか26、7年くらい前、腹具合が悪いしふくらはぎが痛苦しいのでふくらはぎをコタツのテーブルの角でぐりぐりやったらふくらはぎが軽くなって腹具合もよくなったので、それがなんらかのツボだ、とわかって、腹具合が悪い時はこれをやると治ることがわかったので、以来腹具合悪い時はこれをやっている。こういう、直接アクセスできない結腸(大腸)なんてところを操作できる神経末端が表に出てきているというのは有用といえば有用だと思う。疲れたので終わる。
今日はひよりとそこいらへんをぐるっとドライブしてきた。隣に乗っているのが俺じゃなくて彼氏なり、旦那なりのほうがいいのかもしれないと思うのだが、どうやらひよりはそんな存在が母なり、俺のほうが楽でいいようだ。まぁ、俺も彼女なり嫁さんよりそのほうが楽でいいのだけれど。もうああいうのはごめんだね。俺が精神を病んでいる限り、ああいう結末になるのはわかっているからね。
とりあえず、昨日の精神科診察が終わって4週間のうちの3週間余りくらいは軽い気持ちで過ごせるようになってまぁ、よかったと言えばよかったんだけれども、まだ外出というものに重みを以て臨んでいる現況を考えると、ちょっとまだまだだな、と思うことしきりでどうすればこれが治るのか考えてるんだけど、これが全くのノーアイディアです。あ、もう一つ山があったよ。来週の糖尿の診察。検査結果によっては怒られるかもしれない。それがすごく嫌で。
ああ。なんかどうしよう。
精神科の診察。いつもの通りあらかじめプリントアウトした文書に沿って主治医の助言を受ける形で診察を進める。どうも俺は人間関係に弱点があるように思える。最近、3チャンネルくらいある友人群がそれぞれ下でつながっていて3チャンネルまとめて全滅。でも「群」に入っていない親友が一人いる。その一人がいれば充分。俺は友人・知人データを何十人、何百人と集めた分厚いアドレス帳を得意げに眺めるような人間ではないので。
まぁ、更に年賀状書く枚数が減って…昔は割といたんだけどねぇ。やっぱり、バンドなんていう派手なことをやっていたので、そういうことなんだよね。そんなもんだよ。バンドやめて、誰もいなくなった。バンド活動やめてからできた親友といっていいんだろうな…ドラムなんていう「付録」がついていない素の豆々という人物と友達になろうと思ってくれた人。これ貴重よ。こういう人を探すために俺はバンドをやめたといってもいい。これから先、こういう人が現れるかどうかかわからないが、付録なしの豆々を友人に選んでくれる人、それがほんとの親友。
石岡の高校(何高校だったか忘れた)が甲子園に向けて出発。いいんだよ、高校野球を否定はしない。でも、サブチャンネルでやってほしいな。レギュラー番組が休みになるのが物凄く嫌で。これは大相撲もそう。サブチャンネルでやって下さい。そのせいで高校野球と大相撲大嫌いです。(12:59)
夕食後只今19時45分。なんか気分が悪い…。吐き気とかそういうんじゃなく、機嫌が悪い。明日が精神科の診察で出掛けなければならない。身支度整えないでただ帽子だけ被ってちょいちょいと行ければいいんだけれど、俺的には精神科や糖尿の診察で出掛ける時はそれはアウトなんですよ。なんでだろう…まぁ、社会復帰に繋がる端緒だからかもしれないなぁと、自分では位置付けているんだけど…。頭ぼさぼさで主治医の前に行くのは些か気が引けるので。ということで自分的に最も無理のない入浴時間帯は深夜1時から3時くらいまでの間の時間帯かな。無理がなくてもストレスフリーってことはないのでちょっとしんどいんですよ。なんにもない日は午前中遅くだったり午後に入る、ってことが多いけれど、精神科の診察の時は出掛けるのが午前中遅くなので、深夜入浴だとちょっと調子狂ってなんかピリピリしてる。ルーティーンじゃないことをすると物凄くストレスかかるんですよね。(精神的におかしくなってきたのでここで終了)
銚子のイオンに行ってきた。コーヒーミルク系のクリーム45個入と例の人工甘味料50スティック入り。
それから旭、小見川(香取市)神栖市街、潮来を回り、『道の駅いたこ』でじゃがいも、小松菜、卵、人参を購入、次、ホームジョイ本田で灯油を購入。毎週買うから顔を覚えられた。その後帰宅14時。
遅い昼食、カップ焼きそばとおにぎり、コールスローサラダを食べる。
体中痛いのはまだ続いているし、頭がぼんやりしているのもまだ続いている。まだ体にフルニトラゼパムが残っているんだろうか。あまりに痛いので貼付式の鎮痛薬を腕とふくらはぎに貼る。皮膚から鎮痛剤が直で入ってくるので肝臓での代謝もなく結構強力に効く。
上の文章から約6時間。なんかだるさが取れない。腹にガスが溜まってグルグル腹鳴がする。俺の過敏性腸症候群の主症状は下痢なんだけど、ごくたまーにガスが溜まるというのもあってそんな時はIBSガス型のかたもしんどいよなぁと心底思う。それが女性ならなおさら。
ドラッグストアだったかなぁ…明治製菓以外のメーカーで形から名前から明らかに『カ~ル』の後継にならんとワゴンに山と積まれたコーンパフスナック発見。これは食ってみないと。多分、徹底的に『カ~ル/チーズ味』を忠実にコピーしたんだろうと思う。若干パッケージ写真のスナック菓子は『カ~ル』よりスリムなカブトムシの幼虫のイメージ。
疲れた。疲労困憊。物凄く疲れている。(22:11)
精神科医に聞く精神科領域で一番よく使われる抗うつ薬第一位は『アミトリプチリン塩酸塩』(商品名『トリプタノール』など)である。SSRI・SNRI神話が崩壊した今、結局古典的だが圧倒的薬効に勝る『トリプタノール』が好んで使われているようだ。『トリプタノール』に関しては「口渇」「便秘」などの副作用が言われていたが、俺に関してはそこまで強い副作用はなく、ある精神科医の言うにはSSRIよりよっぽど変な副作用はないらしい。それよりベネフィットのが大きいので俺にも数十年以上変更されることなく処方され続けている。古い薬なので臨床データが揃っているということも大きいだろう。きっとこれがないと俺は今以上におかしくなってしまうだろうな。
俺は、あの人達に干渉されない人生を選んだ。もう、放っておいてくれ。別にあの人達のグループに俺はもう必要ないだろう。
今日、俺は体調悪く、朝から横になっていた。なんか…んーこの調子の悪さはまぁ、あんまり芳しくないと言えるだろう。
死なせてくれ。(20:32)
あー体中痛ぇ…。鎮痛薬飲んだ。効くんだかどうだか。俺にしてみりゃ非常に珍しいことだが、パソコンやるのもつらい。腕が痛い。
上の文を書いてからしばらく寝て、起きたら体中が痛いのは少し治っていた。いやぁしんどかった。多分BZP系睡眠薬が切れる際の、一種、離脱症状(禁断症状)のようなものなんだろう。パニック発作の時以外はやめておこう。その大事な時に効かなくなる。あーなんか…やはりまだ痛みがあるなぁ。
人工甘味料が体に悪いとか言われて、そんなことわかってる。これと同じくらいの甘味を得られるくらいの砂糖を摂取したらさらにブクブク太るだろうに。人工甘味料が体に悪いからやめろなんてこと言う人は、俺に「もっと太ってさらに醜くなれ」と言っているんだと思う。そう思って頭に来てまぁでもそれでもの投げたり壁を叩き壊したりするくらいなら自分でブレーカー切っちゃったほうがいいと思って、ヒルナミン500mg飲んだ上にサイレース(旧「ロヒプノール」)4mg飲んだら卒倒して寝てしまったんだが、一度目が覚めた時、なにぶん体中が痛くて寝てるしかなかった。
疲れたからだろうか今日は夜更かしする気がない。寝ようか。
人工甘味料が体に悪いなんて解ってるよ!だからどうしたというんだ!別に俺の体だ。将来、子供を持つ予定なんてないし、ましてやその気もない。俺で完結する。俺ひとりが死ねばそれでおしまいなだけだ!人工甘味料が体に悪くて俺が病気になったり死んだりしても、誰も困らないんだから別にいいじゃないか。寧ろザマァ見ろと思われるだけだ。因みにコーヒークリーム(いわゆる、『コーヒーフレッシュ』などと呼ばれているもの)はプラスチック食品って言われてるんだぜ。体に悪いからってなんだ!あんたに俺の何がわかる!俺が死んでも少しも困らないくせに。
今日も早朝まで起きていて、例によって気がついたら14時過ぎ。寝たのか寝てないのかわからない。母が仏間に来て、布団に入って17時過ぎぐらいまで寝ていた。俺は多分動画を見ていたんだと思う。記憶ねぇよ。
毎日毎日こんな生活。生きている意義はあるんだろうか…つってもこの平穏な日常も当たり前のものではなく奇跡であることを思えば、退屈退屈と嘆くのも罪なのかもしれない。いつかこの奇跡も消えてしまうんだろうか…雲散霧消。俺はこの日常を嘆いているのではなく、この奇跡が消えてしまうかもしれないことを恐れている。
Debian9.8 "Stretch"とMATEの組み合わせ、テーマの選択を間違えなければ思いの外相性いいかも。
* * *
高校の時からの同級生と仲違いしてしばらく経つ。去るものは追わず。去るなら去れよ。君達が去っても俺は生きてゆく。君達は俺が君達のイエスマンでなければ気に入らないんだろう。っていうか、つながりがもはやバンドではなくなった現在となっては、俺の存在価値はないに等しい。だったらこいつ(俺)は自分たちの期待通りに動かないからいらねぇや、ということなんだろう。俺は俺で、君達がいなくても生きていけるし。そうやって自分たちの期待に沿わない人間は片っ端から切り捨て、自分たちの思想こそが唯一孤高のものであって、存在が許される人物の集まりだ、と思ってるんでしょうから。32、3年くらいになるか。長々とお付き合いありがとうございました。さようなら。
朝6時20分頃、ひよりの会社から、今日は休みという旨の電話があったらしい。俺は8時頃起こされて、母の病院の送迎とのこと。神栖市街あたりを流した。『ウエルシア薬局神栖平泉店』で洗剤だとか飲み物等を購入、その後、最近できたばかりの『クスリのアオキ神栖平泉店』に様子を見に行く。入店後、即、感じたのは「なんか臭い」。新築の臭いなんだろうね、建材、接着剤、等々そういうものの臭いなんだろうが、兄妹して半分具合悪くなりながらなんとか小物を買って店を出る。いくら品揃えよくてもあの臭いには耐えられないねぇ…。一度病院駐車場に戻ってしばらく停まっていたが、いつまで待てばいいのかわからなかったので、掘割のカスミの駐車場付近でひよりの携帯が鳴ったので出ると母からだったので病院に引き返しピックアップ。知手の薬局に寄って薬を受け取り、セブンで昼食を購入。その後帰路に就く。帰宅13時。 っていうわけで、今日はあの忌まわしい東日本大震災から8年。8年前の14時46分、俺はトイレにいた。「なに?なに?なに?」と思いしばらくトイレにとどまっていた。が、いつまでも収まらない揺れに恐怖を感じ、トイレを出て外に出ると、住民が外に出ていてしゃがみこんだりしていた。どうしたらいいかわからず、目の前の事象に反応というか脊髄反射のような原始的動機に動かされるまま動いていたら、近所の高校の教室の中で座り込んでいた。それから四日、地獄の集団生活を余儀なくされた。ただでさえおかしいメンタルコンディションが余計おかしくなった。とりあえず横になってじっとしていたから問題行動は起こさなかったと思うが、家族がそんな俺の様子を見ておかしいと思ったんだろう、半ば強行的に避難所を後にしたのだった。まぁ、うちも例に漏れずひびが入ったり瓦が落ちたりしていたが、家族としてはそうするよりしょうがなかったんだろう。家族には負担をかけて申し訳なく思っている。あれから8年、俺は相変わらず「困った避難者」でいる。今度また同じような状況に陥った時に生還できるのか自信がない。せめて他人を巻き込まないように。
15:37、愛媛県南予地方深さ40kmを震源とするマグニチュード4.5の地震が発生。最大震度は3。津波なし。
※メモ BIOSのCSMは、BOOTセクションのFast BootをDisabledにするとCSMの項目が現れる。
母は足腰痛く自宅で留守番ということで、ひよりと出かけてきた。 まず、稲敷のアピタで紅茶とパンを購入。『Janat ブラックシリーズ オリジナルアールグレイ200g』を購入。なにかのキャンペーン中だったのか、通常1300円余りの商品が1080円でセール中、得した!いつも『Janat』の紅茶を買う時は割引だったり『Janatグッズ』をもらったり、なにかしらの得をするラッキー商品である。まぁ別に得をするからというわけじゃなく、普通に美味しいから買っているんだがそれだけに猶更嬉しいもんである。で、今回から『Janat ブラックシリーズ オリジナルアールグレイ200g』の缶の色がイエローベースになってちょっとリニューアル。リンク先の写真は古い色の缶。右上の写真が新旧の缶の比較。もはやブラックシリーズというよりはイエローシリーズという感じ。まぁ、某『リ〇トン』にイエローラベルっていうシリーズがあるのでイエローシリーズとはならないだろうが。
次、行方市玉造甲の農産物直売所『楽郷』で葉物と卵を購入。店頭で天ぷらが振舞われていた。我々もご馳走になったが、ああいうところで炊き出しっていうか振舞われるものは豚汁、雑煮、餅…のようなものが無難で、すぐ冷めてシナシナになってしまう天ぷらのようなものは、そういうものに向いていないと思う。お心はとてもありがたいが、そのお心のありがたさが半減してしまわないような工夫が必要だと思った。俺はたいていのこういうものに文句は言わないタチだが、今回はちょっとひどかったので文句垂れてしまった。
次に、潮来のホームジョイ本田で灯油20リットル購入。リッター77円。まだしばらく灯油の需要は続くかな。夏になれば、風呂のボイラーくらいしか需要がないので少し値を下げるだろうが、今はこんなもんだろう。
次、鹿嶋のチェリオで夕食の弁当を買ってくるように言われたので、とんかつ屋でカツ丼弁当、カツ・コロッケ弁当等を購入。
最後にウエルシア薬局神栖矢田部店で洗剤・飲み物等購入。帰宅13時。
帰宅後、しばらくPCの原状回復作業をしていた。夕方、ひよりがカーディーラーさんに行くというので代車に同乗して行った。車種は忘れたがダイハツの軽。軽とはいえ昔の軽とはグレードが違う。排気量が小さいだけで車内は立派だ。音も静か。ウインカーの音がなんか高級感ある。まぁ、軽も車種・グレードによっては廉価な普通自動車より高いものもあったりする。昔使ってた三菱のticoとはわけが違う。まぁ、ticoはticoで、でかいエンジン音が力強かったし、重いステアリングも自分で運転してます感があって楽しいことは楽しかったが。
夕食後、PCの原状回復作業を行う。明日は東日本大震災発生から8年となる。まだ8年か。この8年という時間の長さは、2003年に俺が東京から実家に連れ戻されてからの8年目に起こった震災までの長さと同じ。そうか…。8+8で16年、東京撤退から16年…。そう、俺はもう16年、東京に行っていない。すっかり変わっているんだろうか。結局、死ぬまで東京の地に足を踏み入れることないまま、ということもあり得る。だとしたら非常に無念。
終わる。
今日は3月8日金曜日。厳密に言うなら3月9日土曜日午前1時38分だ。だが俺が定義する『本日度』は起きてから昼寝などを除いて次に寝るまでなので、本日度はまだ終わっていないので8日金曜日の日記を書くのだ。
起きたのは朝10時頃だったと思う。母は足腰が痛いので病院に行った。隔日通院。注射を数カ所射って30分位ベッドに横になって安静にしていなければならないらしく、帰ってきたのは午後3時半過ぎ。俺もオーバーウェイトで膝が痛く、ボルタレンジェル(ゲル)を塗る。母に、「それなぁに?」と訊かれたので痛み止めだと言ったら「それ塗ってくれない?湿布はかぶれるので貼れないから」というのでそれから毎晩塗っている。俺の分がないけれどまぁいいや。俺の心の平穏より母の健康のほうが優先なのだから。
社会的価値…もし同じ状況で救急救命に運ばれたとして、どちらの命を優先するかという究極の選択が行われる場合、扶養家族がいるか、社会的ポジションの価値、というところでどちらが優先されるか、という場合に、俺は今年50歳、無職、社会的価値なし、扶養家族なし、という理由で優先順位はかなり下がるだろう。俺は社会に貢献していないのだから、優先順位落とされてもしょうがないんだ。そういう観点から俺の社会的価値を見る時、家族の中で複数人が健康を喪失した場合に於いて、どちらを、或いは誰を優先するかを問われた場合、俺は最も順位は低いだろう。命を救ったとしてもその後の人生の質が悪い…こういうところで使うのかちょっと自信がないが『QOL』が低い場合、救命することが果たして妥当なのだろうか、という問題が出てくる。俺はそういう事態に於いて、生きていたとしても幸福を感じることはまずあり得ない。全ての命は俺に優先する、だろう。
両ひざ下が痛い。あー痛い。どうにかしてくれ…。
雨が降っているようだね。今日も雨降りか。ゆううつだ。でも雨は降らなきゃまずいんだろうからね。しょうがない。
只今午前2時8分。精神状態最悪。はぁ…大きなため息ひとつ。精神状態を改善するにはどういう方法があるのでしょうか。困ったな。
暇つぶしに、Debian9.8でもインストールしてみようか…。(2:17)
途中、中断を挟みながらDebian9.8をインストールした。イーサネットアダプタがなくて事前にUSBメモリーに保存してあるのを『make install』してインストールし、更にnvidiaのドライバがなかったので別のPCで事前に落としておいたnvidiaドライバを『chmod 777』『sh』 してインストール。最近のグラフィックボードのドライバはランレベル落とさなくていいのか、楽だな。
ただ、なんでだか知らないが、別のPCでは問題なく繋がるサイトにアクセスできないとか、謎の現象が起こった。例えば『nvidia』のサイト。「純正ドライバ…プロプライエタリなドライバは受け付けんっ!」っていう、Debianの潔癖症的な方針が、ユーザー側の利便性を損なっていることをわかってて敢えてその方針を曲げないっていう、意固地な開発チームの姿勢には賛否両論あろうが、それがUNIXらしい頑固さっていうか、わざわざこんなOSを敢えて選ぶ・使う、『ギーク』向けのOSとしてはまさに王道を行くOSと言えるんだろうな。俺、最初に触れたUNIX・Linuxは『KNOPPIX』で、これ面白い!と思い、調べていくと、ルーツとなっているOSが『Debian』だ、ということを知って一度使ったらやめられなくなってしまった。クソ難しくクソ面倒くさくて、「なんだこのOS?」と腹が立ったものだがきっとそれが魅力なんなんだろうな、と理解し現在に至る。と言いつつDebianからの書き込み。多分、正式にマニュアルからあがってきた人達と比べれば俺のようなレベルの人間はかなり原始的な低レベルの人間なんで(解ってるよそんなこと)、UNIX/Linuxの道を真性ギーク達と歩いてるんだけれど、やはり俺みたいなばったもんはやがていつの間にかメインストリームを外れてて、結局凡才は天才にはなれないんだよな、という事実を痛感する。昔、千代の富士が引退する時『体力の限界!』と言ったけど、さしずめ俺は『知力の限界!』と言ったところだろうか。頭良い奴はバカのフリできるけれど、バカは利口のフリできないんだぜ。
んー。なんか…退屈…。
木曜日か…あと3時間足らずで明日…金曜日だよ。早いなぁ金曜日だよ。はぁ〜ゆううつだ…こうしてため息ついて10年とか経っちゃうんだよな。あの日から、もうすぐ8年か…10年経ってないんだな…月日って、長いのか短いのかわかんないね…。
YAHOO!JAPANのサービス縮小の動きが止まらない。若干、暴走しているようにも思える。ジオシティーズ廃止になって困っている人がいるのに、今度はYAHOO!ブログも12月で廃止という。5月9日から他ブログサービスにデータ移行可能とはいえ、本文と添付画像以外、交流記録とも言うべきコメントとその返信の移行はYAHOO!JAPAN側の勝手な都合で不可能ということになり、作者の記憶や思い出は全て蔑ろにされてしまった。ブログは今となっては人生の記録とも言えるほど心の縁になってる人もたくさんいるんだけれど、大会社は利益追求なので自分の会社の利益しか考えていない。まぁ、至極当然といえば当然なんだけれどね。でもひどいよね。こういうポータルサイトって役目が終わったのかね?移行先として、アメーバブログ、livedoorブログ、Seesaaブログ、はてなブログ、という感じで、それぞれ移行ツールみたいのが用意されるようだ。多分俺にとっては、特に難しいもんではないんだろうと思う。手間暇がものすごく要求されるもんでもないと思うし多分できるだろう。けど、YAHOO!JAPANの運営方針というか信頼というかそういうものに疑問を抱かざるを得ないね。これは…どうしたもんかね。
はぁ…なんつぅか、YAHOO!JAPANも、そろそろ終わりなのかな、なんて思ったりね…。サービスの縮小・廃止を伴う事業整理ってことか。そもそも、ブログというツールはもう終わりなの?社会との繋がりがFacebookとtwitter/instだけっつぅの?また出たよ合理性、能率…。俺この二語大っ嫌い!
* * *
なんだかんだ言って、Debianから書き込んでいることを忘れてしまっていた。ま、別にFirefoxの作業なので特段変わりようがないといえばないんだろうが。さ、Ubuntuでもインストールして遊ぼうかな。
今日は『朝ワイド時間帯』くらいまでは粘って起きていたんだけれど、起きると15時くらいになっていたので、「あっ、寝てしまった」という感じで。起きて以降の記憶がない。夕食もあんまり記憶がない。アメリカンドッグがあった記憶がある。以降俺はなにをやっていたんだか…あんまりというか全然記憶がない。なんで記憶がないんだ?困ったなぁ…。
Windowsのシステムいじったことあるかたはご存知だと思いますが、WindowsというかPCのハードウェアクロックというものはかなりとてもひどく不正確で、それを参照して動いているシステムクロックもかなり不正確。俺は自分が全然パンクチュアルじゃないくせに、PCのクロックとか腕時計が1秒狂っても気になるのでPCはタスクスケジューラでNTPと同期しているし、腕時計は電波時計を使っている。時計が正確ならなんなんだって問われても答えに窮するんだけれども、なんかねぇ、気になるんですよねぇ…。隣室から聞こえてくるラジオの時報とPCの時報が狂っているととても気持ちが悪い。「PCで時報?」と言われるかもしれないね。もう今はウェブ上で公開されておらず多分ウェブ上から絶滅してしまったと思われる時報ソフト、『Offline117』を使って、毎正時や毎時30分にアナウンスと時報(〇時をお知らせします。ピッピッピッポーン)が再生されるようになっている。このPCは時報で喋るし地震でも降雨でも喋る。結構お喋りである。なんか最近、この手のソフトが減っていて(ウェブ上に紹介されなくなって)、ちょっと残念に思っているところである。なんか法的・技術的に問題でもあるんだろうか。
午後11時4分。我が家の面々は俺を除きみんな就寝した。俺の活動時間帯はこれから早朝にかけてである。明日の天気はどうやら雨降りのようだ。木曜日か。月日の経つのはとても早いもので、ボーっと生きていると時の流れの速さに愕然としたりするものである。俺もきっと、あっという間に歳を取って、あっという間に死んでいくもんである。きっと孤独死するだろうからせめて俺の死体が腐る前に発見されて欲しいものだ。まぁどっちみち、俺は不幸な人生を送るようにプログラムされているんでそうなる以外考えられない。
午後11時34分、精神状態がなんだかおかしくなってきた。賦活系薬剤を使おうか鎮静系薬剤を使おうかちょっと迷っている。こういう怒りとか、イライラ系の感情の時に賦活系の薬を使うと大暴れする可能性がある。鎮静させて、もしくは過鎮静させて寝かす、というのが究極的には正しいと言えるのかも知れない。午後11時50分、またため息。あと10分足らずで明日になり、この記述も昨日という過去のものになります。
顔が浮腫んでる。なんだこの顔?
腹減ったな。なにか食いたいけど何にもない。睡眠薬飲んでクカーっと寝ちまってもいいんだけども。
なんかもの凄く不愉快なんだけれど。なんとかしてくんない?
それにしても、腹減ったなぁ。
今年もミモザが咲きました。
朝6時半頃、ひよりが「今日休みだって会社から電話が来た」と言った。「あぁ気分が良い。今日はいい日だ」と。そうだよなぁかっちり仕事だと思って準備万端、行く気満々でさぁ、行くぞと思っていたところで「今日休み」と言われるのってどういう気分なんだろう。ほっとはするよな。
「コインランドリー行くけど乗ってく?」というので乗ってって近所をドライブ。 何の花だかわかんないけれど、寄せ植えです。
9時半過ぎ、もう一人の妹「ゆず」の月命日なので、シャトレーゼでお菓子を買うというので、一緒に乗っていった。まず大野原の『はなはな』にて母、ゆずに供える花を購入。次、潮来方面を回る。洲崎から新神宮橋を渡り、緑が丘に来たら小山病院に河津桜が咲いていたのでちょっと見てきた。そこから神向寺のサッカースタジアムを回り、更にアントラーズクラブハウスを回って掘割川からR124バイパスを経由、再び大野原から木崎(十年くらい前土壌のヒ素汚染で有名になったところ)を経由、日川のシャトレーゼ神栖店でいちご大福、ゼリーだかプリンだかそんな感じのものを購入。土合への途中、セブンイレブンに寄り昼食を購入、フーデリアでネギとか他野菜、飲み物など購入。帰宅13時。昼食はカップラーメンとおにぎり。
食後しばらく起きていたが、強烈な眠気に襲われ昼寝。18時頃まで寝る。もう明日になったんだと思ったが日は明けていなかった。夕食は肉じゃが他諸々。食後、ぼーっと過ごしていたが、ふと思い立って日記を書いてみた。
エアコンの吹き出し口付近にティートゥリー(ティーツリー)のエッセンシャルオイルを垂らしたお湯を染み込ませたタオルをひっかけている。ティートゥリーの匂いは好き嫌いがあるから俺からはあまりお薦めできるものではないがまぁ、淀んだ空気の浄化にはいいんじゃないかな、といった感じで。万人に好まれるのは何だろう?…んー…ベルガモットとかユーカリプタスとかそんな感じのものかな。ティートゥリーと同系統の匂いの質の別物ならやはりユーカリプタスとかなんだろうかね。
まぁ、匂いについてはある特定の主義主張者から見れば過敏症の人に対して「けしからん」というのかもしれないが、ああいう人たちとは全く交点がないので歩み寄れないしお話にもならない。あぁいう人らとは距離を置いて、なるべく関わらないようにするのが吉だろう。あぁいう原理主義っぽい人は俺は苦手…というかはっきり言っちゃうと嫌い。一面的にしか物事を見ていないし、捉えても考えてもいない。それよりなにより『嫌味』だ。
眠いなぁ。午後さんざん寝たじゃないか。なぜ眠い!?はぁ…
23時ね。これからなにして遊ぼうか。PCとかネットはほとんどの二次元情報を網羅しているけれど、俺はあまり魅力を感じないんだよね。理由訊かれてもわかんないんだけれど、どうしても紙媒体が欲しい。昭和の人ですから。
体重が4kg増えて106kg。なにかしら食ってたからなぁ体脂肪として沈着した脂肪なのか、消化済みの滞留物を含めた増量なのか、それがわからない。
さて、ほんとはカフェラテ飲みたいけれど、エスプレッソ作るのがめんどくさいのでカフェオレにしよう。知ってると思うけれど、ベースのコーヒーがエスプレッソでそれに牛乳を入れたのがカフェラテ、普通のドリップコーヒーに牛乳を入れたのがカフェオレ、とされている。が、自信はない。
あー。何して遊ぼう。悩みます。(23:38)
雨降りだからか、調子が良くない。気圧によって体調が影響を受けるといわれてるけれど、果たして本当なのだろうか。腹具合は悪い、両ふくらはぎが痛い、膝が痛い、頭が曇る感じ…。
体重が1.5kg増えた。103kg。このところ、食ってたからなぁ。この体重増加も、体調が悪い原因かもしれない。ダメだな。晴れがちで気候が整ってくるようになれば少しは落ち着くのだろうけれど。両脚膝から下が痛い。鎮痛薬飲んだがあんまり効いていないみたいだ。
最近、世の中の人々が悪性腫瘍に罹患する話が多い。水泳選手に歌手、いろんな人が「がん」に罹っている。老若男女問わずに。今、2人に1人はがんに罹患するという。俺がいきなりがんに罹患しても何の不思議もない。決してうちはがん家系ではないのだけれど、母も乳がんやって右乳房全摘し、リンパも数十本取ったという。
女性としての躊躇いとか悲しみとか無かったのか訊いたら、「そんなもの全然なかった。それよりあんた置いて死ぬほうが嫌だったから」という。
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当時というか、もう俺は高校生時代から精神疾患を患っていて、ずっとそれを持って生きていた。そのことなんだと思う。祖父母による溺愛の一方、俺に手を出させてもらえなかった父母とは、微妙な関係で生きてきた。祖父母の死後、いきなり自分たちの手に俺が戻ってきた父母は俺をどう扱っていいのかわからず、俺もどう甘えていいのかわからず、度々衝突し、その都度俺の精神は壊れていった。そしてピークになったのが高校2年の頃である。その後下火になった時期もあったが仮面の陰で精神疾患はどんどん進行し、悪化していった。1999年の12月の出来事で、俺の精神疾患は高レベルで固定し、日格差での寛解・悪化を繰り返しながら20年経ってしまった。
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話は前後するが、母が乳がんで入院している時、毎日の面会の都度洗濯物などを持ち帰り洗濯の済んだものを届ける、ということをしていたんだが、ある日、食事時に面会に行った時、病床のテーブルで小っちゃく丸まるようにして食事をする母を見た時、俺はこんな小っちゃい人に悪態ついていたのか、と思うと申し訳なくなり、その時に「今後、俺はマザコンになろう」と思い、現在そうなっているはずだ。
今俺は、最近身体の不調を訴える母の身の回りの世話をしたりして過ごしている。身体の不調が悪化・慢性化してしまった場合、俺はこのままきっと介護者となるのだろう。それで少しは罪滅ぼしになるだろうか…。
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最近、消化器の調子があまりよくない。だからだろう、右頬にひとつ、吹き出物が出て触れると痛い。まぁ放って置けばいずれ治るだろう。
他にも俺の顔にはよく見ると肝斑というシミが大量発生している。人によっちゃぁ美容整形で取るんだろうが、俺は別にシミだらけの顔を見られて悪口言われたところで、「あぁ、そうですねシミだらけですよね俺。」…と、それで完結してしまうだけなので、別に美容整形してまで取ろうと思わない。そもそもあまりそれを欠点とも思っていないので。
顔の欠点を指摘するなら寧ろ、左顔面の下瞼と左口角が連動して痙攣する「片側顔面けいれん」のが深刻で。でもこれで別に死ぬわけじゃないのでね。頭開けて顔面神経を圧迫している血管を神経から剥離して血管を差し支えない位置に固定するという耳鼻科と脳神経外科が執刀する手術を受けようとは思わない。まぁ、そういう意識を見る限りそれもさほど気にしていないのかもしれない。
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それにしてもPCの原状回復の作業は思いの外手間がかかり、まだ全然完了していない。ソフトとソフトの干渉だとか、ランタイム等の過不足だとかでソフトの起動にいちいちエラーが表示されたりして腹が立つ。また今から作業だ…。紅茶を淹れて飲んでからにしよう。さて。